ふたりの世界、ふたつの世界

北風と太陽と銭湯

秋風に混ざる冬の匂い。
つい最近まで四六時中響いていた蝉の声はなりを潜め、秋虫がリーンリーンチリチリチリと歌う。
静雄は冬が嫌いだった。
安アパートの窓を吹き抜けるすきま風が心さえ通り抜けるような気がして、「お前は一人だ」と。化け物にはぬくもりに寄り添う資格さえないのだと言われている気がしたから。
だけど彼女と出会って、

「今日寒いね」
、お前足冷たすぎ」
「仕方ないでしょ。この季節になると冷えちゃうの」

ソファーに並んで腰掛ける。
膝に乗せられた足首を握ると驚くほど冷たかった。眉をひそめ撫でていると、少しずつ暖かくなる。吸い付くように滑らかな手触り。
仕事中ケバケバしい水商売の女に抱きつかれたことを思い出し、断然違うとひとりごちた。

「……なあ」
「うん」

呼びかけるとふわり抱きつく身体。
柔らかくて抱き潰してしまいそうになる。それが怖くて愛しい。
首筋に顔を埋めて息を深く吸い込んだ。

「やだ、くすぐったい」

鈴が鳴る様に笑う。
甘い香りと感じる体温。

「冬も悪くないかもな」
「ん?」

小首を傾げるのを眺めて、至近距離で視線を交わした。
ぷっくりとしたくちびるを見つめ、顔を近づける。
触れるか触れないか、吐息がくちびるにかかった。

「今日は銭湯に行かない?」
「……銭湯?」

鼻息が荒くなってきたのを誤魔化すために、静かに答える。

「だってうちのお風呂狭いし。寒い日は長風呂、それにはやっぱり広いお風呂でしょ?」
「……そうか?」

そんなことよりキスさせろ。
近い位置で瞳を輝かせながら話しかけるは可愛い。可愛いけど、とりあえず今はイロイロしたい。
静雄は欲望を堪えて頷いた。

「じゃあ行ってみるか」
「うん、帰りにフルーツ牛乳飲んでいいよ」

花のつぼみが綻ぶような笑顔。
にやけるのを堪えて、くちびるを奪った。




□□□





「準備できたか?」
「……ん、ちょっと待って」

は腰をさすりながら、鞄に化粧品をポーチに入れた。
そして「お待たせ」と言って手を差し出す。静雄は鍵をポケットにしまいながらそれを握り返した。

「日が落ちると余計に寒いね」
「昼間はここまで寒くないのに……太陽ってすげえよな」
「ねー」

玄関を出た瞬間、寒そうに身を縮めたのを見て、手のひらごとポケットにつっこむ。
秋物のコートに薄手のマフラー。
鼻を啜り、てっぺんを繋いでいない方の手で掻く。

「静くん荷物少ないね」
「あ?パンツの替えとシャンプーと石けんがあれば充分だろ。お前が多すぎ」
「そんなことないよ!」

ぷーっと頬を膨らました。
子供っぽい仕草に彼はふんわりと笑う。

「長風呂しすぎて、あんまり待たせんなよ」
「静くんもたまにはゆっくり入ってきてよ。もし先に出るようだったら中で待っててね」
「それだとがいつ出てくるのかわからないだろ」
「……そうだけど、でも私が待つ分には……」
「ダメだ」

少し強めに手を握って、言い張った。
するとほんのり頬を染め、肩をすくめる。

「じゃあ待っていてね」
「おう」

繋いだ手を離して、銭湯ののれんをくぐった。番台でお金を払って服を脱ぎ、桶にお湯をため身体を洗う。右手をわきわきして、眺めた。
ついでに周りを見渡すと、時間のせいか浴室内はそれなりに賑わっているのが見て取れる。
人にぶつからないように歩き、湯船に浸かった。

「ふぅ」

頭にぬれタオルを乗せる。息を吐き出し、湯気で曇る富士山を眺めた。
ぼおっとする。
周囲には老人が大半で、彼を怒らせるような人間はいなかった。
しばらくお湯につかり、肌が赤く染まったのを感じて上がる。軽く身体を拭き腰にタオルを巻く。自販機で購入したイチゴ牛乳を腰に手を当てて飲んだ。

「ぷはっ」

うまい。でも物足りなかった。
もう一本飲みたい。でも飲み過ぎたらに怒られるかな。
そんなことを考えながら自販機の周りをうろうろし、結局買わずに飲み終わった瓶を回収ボックスに入れた。
次いで服を着て、軽く髪を乾かし、彼女を待つ。
十分ほど過ぎた頃だろうか。

「ごめんね、お待たせ」

半乾きの髪をなでつけながらが小走りに寄ってきた。
紅潮した頬。洗い立ての柔らかい肌。
静雄は反射的に軽く抱き寄せ髪の匂いを嗅いだ。洗い立ての髪はいつもと違うシャンプーの匂いで、新鮮な気分になった。
そして、

「静くん、恥ずかしい」

胸元を押されて、ここが往来であることに気づく。
幸い人通りが少なく、誰にも見られていないようだったが。
頬に熱が集まった。

「……悪りい」
「ごめんで済んだら警察はいらないんだからね!」

口では怒りながらも、表情はそうでもない。
差し出された手を握り替えし、並んで帰り道を歩いた。
冬が近づく。
だけどもう、寂しくなかった。