ふたつの世界、ふたりの世界

遊園地 前編

帰宅し、リビングでくつろぐひとときは幸せを与えてくれる。その幸福を確たる物にすべく、煙草に火をつけ吸い込む。ため息と共に煙を吐き出しソファーに身体を沈めた。
目を細める。
静かな時間。
破ったのは彼女の呼びかけだった。

「ねぇ静くん」
「んあ?」

寝ぼけ眼で答えた。次いでマットを広げ体操をする彼女を眺める。
大きく足を広げ、前屈をした。谷間が見える。目が覚めた。
身体を起こし、膝を軽く叩きながら話しかける。

「話あるならこっち来ればいいだろ」

顔を上げて頷き、にじり寄った茉莉。
白い肌をほんのり赤く染め、額にうっすらと掻いた汗が色っぽかった。さらにTシャツの隙間から見える胸の谷間が誘惑する。
膝に乗るのを待てなくて、手首を捕まえて引き寄せる。次いで首元に顔を埋めた。深く息を吸い込むとシャンプーの匂いがする。一緒なのに俺とは違う。
呆れ声に遮られるまでくんくんと堪能した。

「いいだろ減るもんじゃないし」
「でも変態っぽいよ」
「茉莉にしかやらないからいいんだよ」

すると数秒間固まり、「他の人にしたら許さない」言って鼻先にぶちゅっと口づけた。
腰に手を回して向かい合わせに抱き合う。彼女の指先が鎖骨に落ちた。

「んで、なんか用だったんじゃねえのか」
「うん、遊園地に行きたい。行こう?」

媚びるように甘く囁く。

「……遊園地か」
「駄目?」
「駄目ってことはないけどさ」

うるうると見つめる瞳。桜色のくちびるを尖らせ、「行きたい」と主張した。だけど俺が考え込んで頭を掻くと、小さく首を傾げて、「……やっぱり人混みはイヤ?」と悲しそうな顔をする。
静くんは嫌なことならしないよ、と茉莉はしょんぼりした。
それを見て心を決める。

「いつ行きたいんだ?」
「明日!」
「早くないか?」
「だって楽しいことは早くしたいでしょ」

大輪の花咲く笑顔。こいつの為ならなんでもできると思った。





翌日鼻歌と共にたたき起こされ、顔を洗って着替える。唐揚げの良い匂いに鼻をひくひくさせて台所を覗き込んだ。

「うまそうだな」
「こら、つまみ食いしない」
「……茉莉」
「仕方ないな。はい、あーん。熱いからハフハフしてから食べてね」
「あちっ、はふぅ、うめえ」

口の中いっぱいに鶏の肉汁が広がった。
幸せ気分で咀嚼し、飲み下す。
そろりと手を伸ばした。

「もう一個」
「だめ、お弁当の分なくなっちゃうでしょ」

軽く手の甲を叩かれた。
しょぼくれてリビングに戻る。朝ご飯を食べ、食器を洗い、茉莉の支度が終わるのを掃除しながら待った。
はたきで棚上の埃を払い終わると、扉が開く。
部屋から出てきた彼女はパンツにパーカーワンピース。プラスチックの髪留めから後れ毛がはみ出していた。くるりとカールされた睫、艶のあるくちびる。普段と雰囲気が違う。
すごく可愛かった。
……いや待て。可愛いのはいつものことだろ、普段より可愛い?それだと普段可愛くないみたいだ。つまり普段より可愛くて、可愛い?
頭が混乱した。

「お待たせ」

だけどふんわりと微笑む。
それを見たらどうでもよくなった。
白魚の手を握り、

「おう」
「なんで目を逸らすの?」
「逸らしてねえ」

嘘だ。本当は照れくさいから。
覗き込んできたので顔ごと逸らし、手を恋人つなぎになおした。茉莉の頬がピンクに染まる。並んで玄関を出た。





電車に揺られること一時間弱、遊園地に着く。
広がる広い空と、遠目に見えるジェットコースター、そして観覧車。幽と両親に連れて来られて以来だ。
俺には一緒に遊園地で騒ぐような友人はいなかったし、いたとしてもわざわざ人が多い場所になんて来なかっただろう。ましてやデートなんて。
だけど今、可愛い彼女と並んで遊園地のゲートをくぐろうとしていた。
『今日は何があっても暴れない』誓って足を踏み出す。

「行くか」
「うん」

絡めた指先を解いて、腕を差し出す。寄りかかるように絡んだ二の腕と柔らかい胸の感触。
深呼吸をしてからゲートをくぐった。
すると空気が一変した。
雑然としているのは池袋の街とそう変わらない、でも雰囲気が違う。親子連れ、友達同士、カップル。その全員が楽しそうに笑っていた。魔法みたいだ、と呟く。

「静くん口開いてる」

脇を肘でつつかれる。
見下ろすと、上目づかいに満面の笑みを浮かべた茉莉。

「行こう?」

腕を組んで、並んで歩く。
普段は苛つく喧噪に浮かれた。

「何乗りたいんだ?」
「ジェットコースター!」
「……良いぜ」

安全バー折ったらどうしよう。
考えている内に腕をぐいぐい引っ張られ、「秘策があるの」笑顔に騙された。
列に並んでジェットコースターの一番前に乗り込む。
初めての事に少し緊張した。セルティのバイクとどちらが早いのだろう。
高鳴る鼓動を抑え、秘策を教えてもらうために隣の彼女を見た。すると、

「はい」

差し出されたのは手。
念のため裏返してみたが普通に茉莉の手だった。

「つないでればジェットコースターを壊さないで済むでしょ?」
「茉莉が怪我したらどうすんだよ!?」
「大丈夫信じてる」

視線が絡み合う。
負けた。

「わかったよ。けど危ないと思ったらすぐ離すからな」

次の瞬間、ゆっくり進み出したジェットコースター。
レールを滑る音が恐怖心を煽る。
静かに頂点に達し、

「うわああああ!!!」
「きゃあああははははは!!」

結果として手を繋いでいたのは正解であり不正解だったと思う。安全バーを壊さなくて済んだのは良かったけど、手に汗をかいたのがバレた。あと茉莉ってスピード狂ってやつだったんだな。すっげー楽しそうに笑ってた。今度セルティに頼んで後ろに乗せてやったら喜ぶかな。
考えながらベンチにつっぷする。手を潰さないようにと踏ん張っていたせいでやたらと疲れた。
買ってきてもらったジュースを一口飲んで、

「次は、あーお化け屋敷とかどうだ?」

それなら変に体力使わないだろう。
思って告げると、彼女の顔色が変わった。

「え?いい、けど。でもほら疲れてるならメリーゴーランドとか」
「お化け屋敷は別に疲れないだろうが」
「うん、まあそうだよね……だけど歩くし……」
「ひょっとして茉莉お化けが怖いのか?」

半信半疑で問いかける。
するとあからさまに狼狽えた。

「違っ、信じてるとかじゃなくって、でも静くんと出会えた奇跡の神様がいるならお化けもいるのかも……じゃなくって!」
「じゃあ次お化け屋敷な」

言い切ると、少し泣きそうな顔した。
やべえ、なんか目覚めそうだ。
お化け屋敷なら暗いだろうしちょっとくらいなら……。
しかし欲望はバレバレだったらしく、「バカッ」と抓られた。

後編へ続く