ふたりの世界、ふたつの世界

彼と彼女の日常

今日も今日とて池袋の空を自販機が飛ぶ。

「静雄、ほどほどにしておけよ」
「うっす」

怒りが収まった頃合いを見計らって声をかける田中トム。するとさきほどまでの荒ぶりようが嘘のように、静雄は上司の言葉に従った。
その時まではなんの変化もないいつもの日常が流れていた。
だが今日は少しだけ違う。取立の帰り道、あっという間に空が曇り、大粒の雨が降り出す。

「こりゃ結構すげえな」

雨宿りをしていこうというトムに、静雄は首を横に振った。

「今日はカレーなんで」
「おーそっか。気をつけて帰れよ。彼女によろしくな」

店先で雨宿りを始めたドレッドヘアーの上司に背中を向け、強い雨の中自宅に向かって駆け出す。
だって今日はちゃん特製カレーの日。
普段ならイラつく、雨で張りついた前髪ですら気にならない。
今頃鼻歌混じりにカレー鍋を混ぜているのだと思うと頬が緩んだ。
雨足は強まり、彼の俊足を持ってしても家に着く頃にはびっしょり濡れてしまった。鍵を開け、ただいまと呟くとカレーの良い匂いと共に彼女が顔を出した。
雨でびっしょり濡れた静雄を見るなり、ひよこさんのアップリケのついた前掛けで手を拭う。

「雨宿りしてくればいいのに!」

ぷんぷん怒りながらも、手早くバスタオルを用意し頭から被せてくれる。わしわしと撫でられる感触に目を細めた。

「静くん、聞いてる?」
「ん……聞いてる」
「風邪引いても知らないんだからね!」

髪をひとしきり拭い終わると、手招きされた。

「ほらかがんで」

そう言われても、めいいっぱい背伸びする姿が愛しくて甘えたくなってしまう。静雄はそんなことを考えながら、素直に膝を折って腰を屈めた。


「はいはい、甘えるのは後でね」

首筋に顔を埋めて鼻をひくひくさせる。しかし彼女は濡れた身体を拭い終わると、彼をバスルームに追いやった。

「んだよ」
「風邪引くよ。着替えはここ、出たら一緒にカレー食べようね」

情けない表情で彼女に詰め寄ると、ちゅっと音を立てて鼻先にくちづけられた。

、一緒に……」
「入らないからね」

髪が肩口を滑る。大輪の花のごとき笑顔に静雄は、「ちぇっ」と呟いた。