Anotherworld−君のいない世界−

サンプル

彼女と出会ったのは、桜花舞う季節だった。
その所為だろうか、時折季節外れな夢を見る。
満開の桜並木の真ん中で手を繋いで歩く。桜の絨毯が敷き詰められた道は、尽きることなくどこまでも続いていた。
薄紅の花弁が舞い落ちて暖かい風が頬を撫でる。

「静くん」

切れ長の瞳がなだらかな弧を描く。桃色のくちびるの端が上がって、微笑んだ。

「プレゼント……なくさないでね」

彼女が背伸びして、手編みのマフラーを巻いてくれた。
しかし、不意に気温が下がり針のような風が身体を突き刺す。
あたりに薄いモヤがかかって、景色が白に溶けた。花弁が一瞬にして枯れ落ち、純白の雪が降り注ぐ。首筋に落ちてきた雪の結晶の冷たさに、思わず彼女の手を離した。


「静くん……」


すると声が急速に遠くなる。姿まで見えなくなってしまった。白いモヤを必死でかき分け、彼女を探す。名前を呼んだのに声がでなかった。

「……っ!!」

自分の喉からぞっとするほど掠れた声が漏れた。


──さあ、ショーの始まりだ。


引っかくような痛さを伴った風に紛れて、見知らぬ男の声を聞いた。出ない声で絶叫して、辺り構わず壊す、壊す、壊す。けれど彼女を見つけることができなかった。

けたたましいアラームの音でで目が覚める。
見慣れた天井の存在に頭を掻いて、布団に潜りなおした。冷え切った腕を擦りながらため息をつく。そして重い身体を引きずりながら布団を出て、リビングへ向かった。

……朝飯なに?」

ずり落ちそうなジャージを引っ張り上げながら、台所に顔を突っこんだ。だけど彼女がいない。ちょっと外に出ているだけにしては、様子がおかしい。
肩を落としてひとりごとを呟いた。

「今日、仕事だったっけか……?」

スタントマンという仕事がら早朝から出かけてしまうこともままある。でもそういう時は大抵言付けてくれた。腕を組んで考えてみたけど、そんなことを言われた記憶はない。
ともすれば落ち込みそうになる気持ちを励まして、トーストを作り、顔を洗った。
そうして俺は気づかないふりをする。
洗面所から彼女の歯ブラシが消えていることを。洗顔フォームも、愛用のトリートメントも。俺たちのアパートにあった、の痕跡が全て消えてしまったことに。
そして仕事をして、家に帰ってきた。でもがいない。帰ってきてくれない。
携帯電話を開いてみたけど、彼女の番号は煙のように消えていた。