ふたつの世界、ふたりの世界
バレンタインデー
呼び鈴が広い室内を鳴り響いた。
白衣の青年、新羅は首を傾げながら玄関に向かう。すると、
『新羅!私の客だ。出るから構わないでくれ』
身体に黒い影が巻き付き、肋骨が変な音を立てた。
「セルティはいつでも全力投球だね。そんな君が私は大好きだだだぁいたぁああ」
『恥ずかしいことを言うな』
存在しない頭部に手を添えてモジモジした。次いで二度目の呼び鈴の音に慌てて影を消し玄関へ向かう。
扉を開き現れたのは整った顔に含みのある笑顔を浮かべた女。
「ごめんね、お取り込み中だったかしら?」
『、なんか卑猥だ』
「そう?」
うふふと笑い、視線を移す。
「新羅君、お邪魔します」
「君だったのか。どうぞご遠慮なく」
「ありがとう。じゃあ無礼ついでにお願いがあるの」
大きな紙袋をさりげなく隠し、小首をかしげて頼み事をした。
「静くん連れてロシア寿司に行ってて?」
広いキッチンから甘い香りが立ち上った。
「そうそう。チョコが溶けて来たら次は……」
引き締まった足首、なだらかな曲線を描くふくらはぎ、形良いヒップ。
ひよこのエプロンで手を拭きながらは手順を説明する。
『こ、こうか?』
「おっけー」
手慣れた仕種でチョコレートを混ぜる。対してセルティは危なっかしく、材料を床にぶちまけそうになるのを影を使って防いでいる有様だった。
新羅を追い出した後、二人は広々としたキッチンに材料を広げ、チョコレート作りに精を出す。細かく刻んで湯煎で溶かし生クリームを入れる。次いでクッキングペーパーを敷いたパットに流し入れ固まるのを待つ。
そして最後の仕上げ。
「ココアをかけたら丸めてできあがり。ね?案外簡単でしょ」
『ああ、お菓子ってこんな風に作るんだな。ありがとう』
「いえいえ」
首のない女性と色香漂う女。
二人は仲良く並んで手作りチョコを作り続けた。
時折ガールズトークを繰り広げて、
『変なことを聞くようだが、は一体静雄のどこか好きなんだ?いや勘違いしないでくれ。静雄はいいやつだし私も友人として好きだ。でも』
「恋人としては難しいんじゃないか、ってこと?」
セルティの作ったトリュフの味見をしながら振り向いた。
「そういう見方もあるかもね。口説くのに一年かかったし」
『一年!?』
PADを勢いよく叩く。
それに微笑み、楽しげに笑った。
「そういうこと。静君のどこが好き?って聞かれると本当は困るの。だって全部好き、優しくて時々弱くてでもかっこよくて強い。キレやすい癖だって静君なら平気。でもあえて一つって言われたら……」
『言われたら?』
「可愛いところかな」
小悪魔めいた笑みを浮かべた。
同時刻、ロシア寿司店内。
「よぉ新羅、なんて言ってた?」
「さあ?セルティと何か企んでるみたいだけどね。果報は寝て待てってね。企むセルティ、たまらないほど色っぽいと思わない?」
「の方が色っぽい」
カウンターに座り、握り寿司を肴に杯を交わしていた。と言っても飲んでいるのは静雄だけだが。
そんな彼は湯飲みを砕きそうな勢いで握りしめていた。
「だいたい今日俺休みなのに、が一緒にいないってどういうことなんだよ、あぁ!?」
「すごまない、すごまない。さんに怒られちゃうよ」
「……のチョコレートフォンデュ」
「君今すごい思考が飛躍したね。旭日昇天、静雄君は彼女のこととなると恋は盲目、何も見えなくなるよね……いだだだだだっ、痛い、咬筋がちぎれる」
「うるせぇ」
脳内で愛しい彼女のあられもない姿を想像していたせいで、とっさには怒りの沸点を超えなかった。
「そういえば静雄君はさんのどんなところが好きなんだい?」
「はぁ!?なんでお前にんなこと言わなきゃいけないんだよ」
「興味本位」
怪しい笑顔の幼なじみに一瞬考える。
だが深く考えることの苦手な彼のこと、酔いが回ってるのも手伝って小声で語り出した。
「俺のことを好きになってくれたから……最初はな。でも今は可愛いところも優しいところも弱いところも柔らかいところも全部。俺が守ってやりたいと思う、だから好きだ。でもあんまり守らせてくれないんだよなぁ」
一気に日本酒をあおり、ため息をつく。その時、
「オウ、シズーオ元気ないね?スシ食うか?」
「もう食ってんだろうが」
「イケナイネ、中トロ一丁!美人の彼女にフラれたからってやけ酒よくないよ。一緒にスシ食うよ」
「フラれてねぇえ!!!!!」
轟音が響き繰り出された拳。
捕らえた手のひらが風船が割れた様な音を立てた。
「オウ、シズーオ。喧嘩よくないよウニトロハマチ食べるね」
「喧嘩するなら外でやれよ」
白人の板前の誰何の声。
聞こえたのか聞こえなかったのか、わからぬまま今日も池袋の街は騒動に揺れた。
ソファーの上、静雄は正座で彼女のお説教を受ける。
「それで、サイモンとずっと追いかけっこしてたってこと?雨降ってきたのも気づかないで?」
「……だってあいつが」
「静くん」
「悪ぃ」
ぼそり、呟く。
するとは肩を落とし、近づいた。
揺れる身体。
しかし予想に反して、頭に乗せられたタオルを擦る腕。首筋から甘い汗の香りがした。
「風邪引いたらどうするの?今インフルエンザだって流行ってるんだからね。めっ」
触れた指先から伝わってくる熱。
頬と頬が触れあって、くちびるに触れた人差し指。
期待して視線を合わせると、
「目を閉じて」
「んっ」
手のひらが頭を離れて、くちびるをなぞる。次いで放り込まれた甘いお菓子。
驚いて目を開くと、いたずらっぽい笑顔が迎えた。
「今日セルティと作ってたんだよ。これは彼女に教えたトリュフ。静くん甘いの好きだからチョコレートケーキと生チョコレートも作ったの。フォンデュの材料もそろえてあるからあとでしようね」
「フォンデュ!?」
図らずも昼間の妄想が現実に。ピンク色に染まった脳みそがはじき出した答えは、
「、三倍返しするからにチョコかけて食ってもいいか?」
「私にかけるの!?」
非常にアレな結果だった。
それでも止まらず、静雄は感情のままをソファーに押し倒した。