焦がれた空と、愛すべき君へ

 夕方の池袋には、妙な活気がある。


 昼間だって人は多い筈なのに、日が落ちるにつれてそんな雰囲気を醸し出すのだ。夜の帳が忍び寄る池袋は。…そんなことを、ぼんやりと考えた。何故だろう。自分が、これから帰宅するところだからだろうか。いや、何時だったか後輩の男の子も、そんなようなことを言っていた気がする。やはり、池袋の夜には特別な空気があるのかもしれない。

 辺りの人通りは多い。何か一つの意思を持った人ごみのようにも思える雑踏は、ぼんやりとした思考を巡らせる私を押し流す。ぼんやり、ぼんやり。その目は何を映すでもない。
 不意に、金色の雫を見つけた。ぽつんと浮かぶその雫。周りに染まらず、馴染みもせず、寂しそうに、ただまっすぐ立っているその雫。
 私はそこまで考えて途端に現実に引き戻され、すぐに心を高鳴らせた。久しぶりにその目立つ頭を、ひょろりと高い背を見たものだから。は思わず小走りに駆け寄って、夢中でとんとんとその背を叩いた。

「静雄くん、久しぶり…元気してた?」
 振り返った彼はしばらく、まるで状況を理解できないという顔をしていた。
「ああ?……って、、か?」
 目を見開いている静雄くん。そうだよと笑うと、すぐに懐かしいその人も柔らかく笑った。彼が笑って、私たちの間に横たわっていた空白の時間も、心なしか飛んでいった気がした。それだけで嬉しくなる。別に、以前だって特別親しかったわけでもなんでもないのに。
 私は、少し期待していたのだ。
「静雄くん有名だから、この辺で良く噂を聞いたんだけどね。私も最近池袋の勤務になったから、すぐ会えるかなって思ってたんだけど……ふふ、やっと会えた」
「おー……そうだったのか」
 まだ彼は戸惑っているらしい。そのことに、なんだか少し、気分がよくなった。
 本当に連絡が取りたいのなら、私も彼も、お互いの連絡先は知っていた。あくまで、一応、というくくりで。でも私はそれをしなかった。できなかった、というのが正しい。それをしてしまったら、学生時代の小さなの思い出を、ぼんやりと消してしまいそうだと思ったから。

「バーテン服、似合うねえ。今もお仕事中?」
「ああ、そうだけど…」
「この辺はよく通るの?」
「…おう。事務所があっちなんだよ」
「え、ほんと?私の職場もね、そっちの方なんだよ。今まで会わなかったのが不思議だね」
「へえ、ホントだな」
 指差した方向は、私の歩いてきた道だった。今も同じように駅に向かう会社帰りの人たちが押し寄せてくる。次の話題を考えるのに夢中だったから、ちらちらと飛ばされる視線には気付かなかった。
 もう一度彼の顔を見上げれば、どんどん、あふれるように言葉が出てくる。どうやら先に調子を取り戻すのは私のようだ。

「あっそうだ、聞いてよ静雄君っ。私、遂に最近、弟と仲直りしたんだよっ」
 跳ねるように声を弾ませて言えば、それに感化されたか面白そうな顔をする彼。
 高校生の時から私が思春期を拗らせた弟と、仲直りがしたくてしかたがなかったこと。同じように弟を持つ静雄君と、何とはなしに、話をしたことが何度かあった。
 突然の話題変換も、理解した途端に嬉しそうな優しい笑顔を浮かべてくれる。
「へぇ、そうなのか。……よかったじゃねぇか」
「うん、そうなの、そうなの。…静雄君のおかげだよ。ずっと、お礼が言いたくって」
「そんなのいらねぇのに」
「駄目だよ、静雄君のアドバイス、本当に役に立ったんだから」
「だから、買い被りすぎだって」
「もう、静雄くん信じてないな?本当にそれがなかったらうまく行かなかったんだから!」
「デカい声で言うことじゃねえだろ…」
 昔もこんな風に会話をした。私がひたすら喋っていただけのような気もする。彼が弟を大切にしているということが話しているうちになんとなくわかって、自分も弟との関係を反省したのだ。
「でもまだ、恥ずかしがって一緒に外は歩いてくれないの。やっぱり同性の兄弟が羨ましいよ」
「そうか?俺はみたいな姉が欲しいって、思ったりしたけどな」
 彼の言葉にドキリとする。こてりと不思議そうに小さく首を傾げた彼は、自分の言葉の影響度などまるで考えていないに違いないが。

 急に恥ずかしいという感覚に襲われた私は、辺りの様子を視界に入れた。すると途端に入ってきた存在。静雄君の後ろで、ドレッドヘアーの人が目を丸くして、世間話に花を咲かせる私たちを見ていた。あっと思わず声を上げた。
「あっ、す、すみませんお仕事中なのに引き止めてっ」
「おう、静雄…知り合いか」
「あ、トムさん…その、こいつは高校の、同級生で、」
「ご、ごめんね静雄くん…!」
「俺からも、すみません。急にこんな話しだしちゃって」
「いや、別に問題はねぇが……ごめんな、静雄に女の子の友達がいるとは思わなくてな…吃驚しちまった」
 まだ半分呆然としたような彼が言う。そうして、ふっと微笑んだ。
「今も仲は良いみたいだが…これからも仲良くしてやってくれよ」
「?は、はいっ、もちろんですっ」
 私と静雄くんは二年振りに会ったというのに、彼は私たちの仲が良いと言う。でもそれは嬉しい言葉。
 ふわふわっと浮ついた心が舞い上がって飛んで行ってしまいそうになったから、私は失態を犯す前に、撤退することにした。逃げなきゃ、転んでしまいそう。ゆらゆらと近付いて、ころころと転がって、彼に体当たりしてしまいそうだから。

「じゃあ、わたし、帰るね!ま、またね、静雄君!」
「おう、気をつけて帰れよ。……また、な」

 優しげに微笑んでから、少し考えて小さく手を振ってくれた彼を見たとき。まだ二人のこれからがあるのだと、彼の瞳を見て解ったとき。去り際の私は、確かにぼっと頬を染まらせた。そうしてやっと、気付いた。このぼんやりとした二年間に、足りなかったもの。

 彼と私の互いの繋がりは、未だ、確かにあった。これはきっと、手遅れではないという証拠。
 走り出しそうな足を地に押さえて、ぐらぐらと踏みしめて歩く。でないと浮き上がってしまう。気付かぬうちにぐっと力を入れた拳は、汗を握っていた。次は、次に会った時は、何を話そう。脳内のアドレス帳から呼び出した名前が、浮かんで見える。
 たった一度の、互いに強く印象に残った同級生との邂逅。それはこれからの2人の関係を知れば、きっと些細な変化ではなかった。ただ当たり前のように送るはずだった、二人の繋がった未来を、そして過去を、取り戻すように。

 池袋の夜は暮れゆく。








空フル苺。の空乃さんからいただきました!!!!
はわあああ(*´Д`*)
私も静ちゃんの同級生になって再会したいです!そして結婚したい!!
ありがとうございました!!