降り注ぐようなキス……。
それはあまいあまいドロップのようで。
わたしをドロドロに蕩かし尽くす。
「、――」
キスよりあまいその言葉と痛みに、わたしは再び瞳を閉じた。
本当は余裕なんて少しも、
蝉のように邵可邸の壁に張り付く黎深様を眺めながら、冷えた身体を摩った。
指先が悴んで徐々に感覚が薄れてゆく。
「ぐっすり寝ているな。 くっ、顔を真っ赤にさせて痛々しい……」
「なんでお前の姪を訪ねるのに、他家の壁をよじ登って盗っ人よろしく忍び込まねばならないのだ。 冬の最中にバカみたいだぞ」
「そ、そうですよ」
最早かみ合わない歯の根を強引に閉じ、呟いた。
「仕方ないだろう。 まだ私は名乗りを上げるための心の準備が出来てないんだ」
「お前はな。 我々は違うから表から堂々と見舞うことにする。 行くぞ」
ふわりと外套に包み込まれる感触。
見上げるとそこにはわたしの肩を抱く、絵にも書けない美人が一人。
「え、ええっと……はい」
混乱しかける気持ちを何とか宥め、さり気なさを装い彼と距離をとる。
そうでもしないと、眼福過ぎて目がつぶれてしまう――と思った。
しかし鳳珠さまはそんな行動など歯牙にもかけず、今度はわたしの手を包み込むように握りしめ、全身の毛穴が開くような笑顔を浮かべたのだ。
「バカ言え。 君に抜け駆けさせないために一緒に来たのに、そんなことさせるか。 それに何堂々を手なんて繋いでるんだ。 いやらしい」
黎深様の言葉を受け、目前でさらりとした絹糸の髪がこぼれ落ちる。
「震えている女人を放っておくわけにもゆくまい」
鳳珠さまは見た目は男か女か分からないくらい綺麗なのに、中身はとても男らしい。
気が付くと長い指先に柔らかく頬を撫でられ、目前まで美しい顔が迫っていた。
「……寒いのか?」
全身が拒絶ではなく歓喜に震える。
「ほほほほほ、鳳珠さま!?」
「あー! 君何してるんだ!」
くちびるが触れ合うか触れ合わないとという寸前、黎深様にひっぺがされた。
……危なかった。
本気でくちづけられるとは思わないが、万が一にでもそんなことされたら息が止まってしまう。肩で大きく息を吸い、バクバクと音を立てる心臓を宥めた。
そして不意に覗いた影に振り返る。
「……そんなところで何をしてるんだい? 黎深、おや黄尚書とまで」
邵可さまだ。
「あ、兄上!」
「ご息女のお見舞いに参りました。 突然の訪問お許しください、邵可殿」
「同じく、邵可さま。 ……ただいま戻りました」
ぺこりと頭を下げると、「おかえり」と微笑まれる気配がした。同時に黎深さまの嫉妬の視線。後者は無言でスルーした。
そして黎深さまに続き窓に手をかける。
すると、
「捕まっていろ」
「ひい!?」
身体が宙に浮く感覚。
(ひい!? この年でお姫様抱っこ!?)
開放されたわたしは胸の高鳴りを押さえ込み、鳳珠さまを睨む。
「これくらい一人でも出来ました」
「知っている」
しかしふわりと微笑んだ彼に思わず絶句。
この人には一生勝てないかもしれない……、熱を持った頬をペチペチと叩きながら、彼に背を向け、寝込む秀麗に近づいた。
「秀麗……ただいま」
額に張り付いた髪を取り払い、熱を帯びた頬を撫でる。
「あ、あー!! お前! 抜け駆けとはいい度胸だ!」
黎深様のいちゃもんに肩を竦め、仕方なく場所を譲る。ビュービューと吹きすさぶ寒空を眺め、団らんの和やかさに頬を緩めた。
そして少し後、聞き慣れた声が室の扉を叩く。
「旦那様、お食事の用意が出来ました。 絳攸殿と藍将軍もご一緒ですが、中に入ってもよろしいですか?」
――惹き寄せられる、紫闇色の瞳に。
形良いくちびるから漏れだす旋律に。
彼の全てに。
「……ただいま……」
「……」
呟いたまま絶句する静蘭に、微笑みを投げかけた。
すると彼は一瞬苦い物を飲み込んだような表情を浮かべた後、取り繕ったかのような笑みで応じる。
「おや殿?」
聞こえた楸瑛の声に彼から視線を外した。
ほんのささいな事だったのだ。
静蘭があんなことで怒るなんて。たかが街で男に声をかけられたくらいで怒るとは思いもしなかった。
どうやらご近所ではちょっと有名なぼんぼんだったらしい彼は、どこが気に入ったのかわたしに言い寄り、数々のプレゼントを寄越した。
一応静蘭という恋人?のいる身であるわたしが、その好意を受けるわけもない。……いなかったとしても多分受けないが。
しかし物に罪はない。
これは後宮女官時代から変わることのないわたしのポリシーであり、習慣であった。
何か欲しいものはない?という言葉に、「食材」と紅家の差し迫る食料状況を鑑み、答えた。しがない居候としては当然の答えだろう。
しかしその話をどこかから聞きつけた静蘭は怒った。激怒というのはああいう行動を差すのであろう。
別に悪いことなどした覚えのないわたしは当然腹が立った。何様のつもり!?というのはこういう心境のことをいうのだと思う。
そして秀麗がちょっと引くくらいの喧嘩を繰り広げ、最終的にめんどくさくなったわたしは家出をすることにした。
それが一月前の出来事にあたるわけだが。
「――どこに行っていた」
押し殺したような低音ヴォイスが鼓膜を揺らす。
視線を上げると瞳の奥に怒りの炎をたたえた静蘭。
わたしは曖昧に笑みを浮かべながら言った。
「黄尚書のところで下働きしてた」
家出したはいいが、貴陽に知り合いなどほとんどいない。そんな時ばったり出会ったのが鳳珠さまだった。
彼は自らの話し相手兼、帳簿付けということなら邸に置いてくれるという。いい男の上、なんていい人なんだろう。わたしは一も二もなくその話に飛びついた。
しかし静蘭はその話のどこかに腹が立ったのか、肩を掴むなり思い切り握りしめた。
「痛っ! ちょっと痛いってば!」
「そうか、黄尚書のところで……」
くろーい笑みを浮かべる静蘭に、頭の中で黄色信号が点滅した。
その時だった。門扉が激しい音を立てて開く。
「――師! 紅師はいますかい!?」
慌てた様子で飛び込んで来たそこそこの年嵩の男性。
秀麗の生徒さんの父親だと言う。
――助かった。
しかし安心してばかりもいられない。
「いなくなった……?」
窓の外には降り積もる雪。
……危険だ。
「もし龍山で見つけたら、私の邸に運び込むといい。 子供の身体ならなおさら限界に来ているはずだ。家人に申しつけておく」
「ほ……黄尚書、ではわたしが」
一刻を争う事態に協力を申し出る。
背中に痛いほどの視線を感じたが、今は無視。
雪山捜索隊を見送り、鳳珠さまと共に軒に乗り込んだ。
□□□
「静蘭!」
ぐったりした少年を彼の腕から受け取り、周囲の家人に指示を出す。
黄家直属の医師に少年を渡し、そっと扉を閉じた。
「とりあえず命に別状はないみたい」
「そうか」
静蘭は一息つく間もなく、再び防寒着に袖を通す。
「戻るの?」
「ああ、お嬢様が心配だからな」
……あいかわらず秀麗贔屓な事で。
わたしはため息を一つつき、自分用の外套に手を通した。
「一緒に行くわ」
そして吹きすさぶ寒風に身を捧げる。
――寒い。
ブルリと身を震わせ、縮こまらせた身体を甘い香りが包み込む。
まだ不機嫌そうな切れ長の瞳をじっとりと見つめ口を尖らせた。
「……一人でも大丈夫なんですけど……?」
「黙っていろ」
彼の外套に包まれ、歩き出す。
何故か心まで温まる気がして、気恥ずかしさに俯いた。
そして邸に戻り、外套を脱ごうと手をかけたそのとき、
「ぎゃーー!!」
秀麗の絶叫が邸内に響き渡った。
「秀麗!?」
駆けつけるとそこにはなんとも言えない光景。
『動けない秀麗を無理矢理襲っている夜這男乃図』とでも言えばいいのであろうか。
「主上ったら大胆ー」
張りつめた周囲の空気を軽くしようと、軽口を叩く。
「余は、余は何もしていないのだー!」
続いて主上の絶叫。
そしてわんこは涙目でわたしに縋り付いた。
「ー!」
「よしよし」
頭を撫でると、ぐすんと鼻を啜りながら上目づかいに見上げる。
(か、可愛い)
思わず抱きしめ返そうと、力を込めた瞬間、静蘭に引離された。
キッと睨むも、どこ吹く風だ。
「静蘭ばっかりを独占してずるいのだ」と呟く声が聞こえる。
首を振り、傍観者として適切な位置まで下がり周囲を見渡した。
その後も色々とあったのだが、鳳珠さまがめちゃめちゃかっこ良かったことだけ明記して割愛する。
「わたしも片付け手伝うわよ?」
そう呼びかけると主上の瞳がキラキラと輝いた。お手と言ったら、やってくれるかもしれない。
しかしそこに再び割って入る静蘭。
「あなたは自室の片付けをしていなさい」
「えー、めんどくさい。 じゃなかった、明日でいいじゃない」
「そう言ってやらないのは誰ですか?」
「……わかったわよ……」
しぶしぶ頷き、主上の頭をなでてから秀麗の室を出た。
廊下を歩く。
冷え冷えとした空気の中、空には満天の星が輝いていた。
そして室の扉に手をかけた瞬間背後に出現した気配に振り返った。
闇夜に映える銀の輝き。
「静蘭? どうしたの、何か用?」
「……」
怒った顔の静蘭。
切れ長の瞳を見つめる。しかし一向に話しだそうとしない彼にしびれを切らし、下から目線で「キッ」と睨んだ。
「なんとか言いなさいよ? 用がないなら、わたし室に入っちゃうわよ」
「……お前は……」
一瞬するどい痛みを堪えたような表情を浮かべた静蘭。
ちょっと心配になり、すべすべの頬に手をかける。
「どこか痛いの? それなら……ゃっ」
突然手をとられ、迫るくちびる。
強引に引き寄せられ、二度、三度と重なる。
とられた指が重なり、絡まり合う。
そして背後の壁に身体を押し付けられた。
「ちょ……何?……ひゃっ」
直後にこじ開けられた口内に熱い舌が入り込む。
歯列をねっとりとなぞる激しいくちづけ。
熱い口内と冷たい壁に挟まれ、ぞくりと這い回る快感に一瞬意識が飛びかけた。
「ぁっ……せいら……」
口の端から飲み込めず溢れた唾液が妙に気恥ずかしい。
しかし静蘭はそれすら舐め上げ、切なげに呟いた。
「……愛してる」
星が瞬いていた。
「……わたしも……愛して……っ」
首筋に落ちる甘い痛み。
それはキラキラと輝いて、蕩けそうなキャンディーみたいだと思った。
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アンケート得票上位は静蘭、鳳珠、黎深でした。
テーマは微エロ……微エロ?(笑)