それは先王が存命なりし時節の話。
その日わたしは久方ぶりの宿下がりを迎えていた。
劉輝さまから、帰らないでくれ!と泣いて頼まれたが、そこはそれ。劉輝さまのことも好きだが、わたしにはかわゆい香鈴がいる。
これ以上駄々をこねると、黄尚書のところへ嫁に行っちゃいますよという爆弾発言でもって彼を煙に巻き、とっとと荷物を纏めたのだった。
ピクニックに行こう
「ただいま戻りました」
優美な仕草で頭を垂れたわたしに、馴染みの女中が歓喜余ったように「ほう」とため息をついた。
しかし彼女は、「ふふんっ! どうよ、大したものでしょう」とふんぞり返ったわたしに、「ようやく人並みに!」と苦労を偲ばせる言葉を呟いたのだった。
(がーん)
そこまで頭を悩ませたのだったとしたら悪かったと思うけど、でもそんな態度はない……。そう口に出しかけ、直後に思い出した自分の過去の所業に思わず目をそらせた。
「香鈴は?」
それはそうと気を取り直し、浮かれ気味に問いかけた。そもそも今回無理を言って帰ってきたのは香鈴に会いたかったからなのだからこれぐらいの浮上は許して欲しい。
しかし当てが外れた。
香鈴は礼儀作法のお勉強中だというのだ。「お姉様が帰って来たんだよ! そんなのさぼらせてよ」と詰め寄ると、女中さんからはしたないと怒られた。
(ちぇっ)
年甲斐もなく、頬を膨らませて空を蹴った。
「姉様! 姉様!」
可愛い妹はすこし見ない間に愛らしさに磨きをかけていた。
これもいつかは人のものになってしまうかと思うと腹立たしい限りだ。その時は全国のお父さんに代わり、ちゃぶ台をひっくり返そうとよくわからない決意を新たにした。
そして歩み寄り、恥ずかしげに抱擁を求める香鈴を抱きしめる。
……ん?
「香鈴、痩せた?」
明らかに期待していたほどの柔らかさが無い。
「お勉強が忙しくて」
ふぅと物憂げなため息をつく姿に眉をひそめた。明らかにそれが理由ではあるまい。
わたしは可愛い妹の為、一計を案じる事にした。
□□□
「ええっとこれはおかかおにぎりで、うめぼしは……」
翌日早朝、菊花邸の厨房でおにぎりをにぎる女が一人。
わたしは昔からおにぎりと縁が深く、劇団時代はおにぎりのという限りなく格好わるいあだ名を持っていた。
「できたっ」
それぞれを竹の葉で包み、籠につめたらピクニック弁当の出来上がりだ!
「さあ香鈴、鴛洵様! 参りましょう」
「うむ」
「は、はい!」
香鈴は上ずった声で答える。対して鴛洵様はゆったりと優しげな微笑みを浮かべた。
そして三人仲良く軒へ乗り込む。
道中、軒の中では宮中のことや市井の話で盛り上がった。と言ってもわたしのワンマンショーだったのだが。
そして軒に揺られしばし、ピクニックにぴったりな山の中腹へ到着した。
「うわー! 綺麗ですね〜!」
「そうじゃのう」
香鈴は抜けるような青空と、青青と輝く木々に声もなく佇んでいる。
やっぱり情操教育には自然だと、何度もうなずいた。
「ね? たまにはいいでしょ」
「はいっ」
するすると解ける紐のように、笑みが溢れだす。
二人で目を見合わせ、顔中で笑った。
日の光が暖かく照らし出し、空の蒼が気持ちよく輝きを増す。
「じゃあ早速お弁当にしましょうか」
鴛洵様は忙しい中、わたしたちの為に時間を作ってくれた。
猶予はわずか一刻あまり。
鴛洵様におかか、香鈴にうめぼしを手渡し、自分用にしゃけを取りだす。
おにぎりを頬張る香鈴とわたし。そして鴛洵様。
その光景は久しく忘れていた家族団欒という言葉を思い出させた。
「鴛洵様、ありがとうございました」
「いや、このぴくにっくとやらは中々に楽しかったぞ」
ふぉふぉふぉと好々爺然とした笑い声を上げる。香鈴は羨望の眼差しで鴛洵様を見上げた。
どうやらこのシチュエーションは彼女のお気に召したらしい。きっとこれでしばらく大丈夫だろう。
わたしは安堵に胸を撫で下ろした。
そして迎えが来るまでの僅かな時間、わたしたち三人はまるで本当の家族のように、和やかで穏やかな時間を過ごしたのだった。
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