鈴虫の声が聞こえる。
風が、空高く冷え冷えと吹いた。
外朝の一室。
官吏達が恐れる二大部署が一つ、魔の戸部。
「ふむ……」
戸部尚書、黄奇人は黙考後顔を覆っていた仮面を取り、立ち上がった。
手には府庫から借り受けた書籍が数冊。
仮面を取った理由は単純で、府庫の主ならば彼の超絶美貌にも微動だにしないから、
そして秋の夜風を直に感じたい、ただそれだけのことだった。
素顔を晒し歩き出す。
そして彼は一人の少女と出会った。
幻想舞花
は寝付かれず数度目の寝返りを打った。
「ああ! もういかん!」
寝台から飛び起きると、二、三度屈伸をして身体を緩める。
そして寝巻きを脱ぎ捨て、薄手の外着を着込んだ。
「男装は……ま、いっか。 この時間なら外朝の人は帰ってるだろうし」
と口の中でぶつぶつと呟き、軽く髪を梳く。
そして扇片手に、室を出た。
□□□
府庫に向かう途中、奇人は不審な物音を聞きつけた。
耳をそばだてると聞こえるバサリ、バサリと白鳥が飛び立つ様な音。
奇人は手にした書物もそのままに、音の発生源へ向けて歩き出した。
それはさながら花の香に魅せられた蝶のようであったと後に彼は思う。
そして視界が開けた。
それは幻想的な光景だった。
月光の薄明かりの中、舞う少女が一人。
白い夜着が天女の羽衣の様に舞い踊る。
むかしむかし、世界を作りたもう女神の傍らに侍った舞姫。
それが自らの前に現れたのだと思った。
薔薇と雪が印象的な扇が水平に広がる。
少女が一歩踏み出すと、腕輪がシャナリと音を立てた。
奇人は我知らず手にした本を取り落としていた。
その音に少女が振り返る。
「あ……!?」
幻想的ともいえた雰囲気が一気に崩れ、少女らしい幼さが顔を見せた。
奇人は慌てた素振り一つせず言う。
「すまない。 物音がしたものでな」
「え……!?」
は目を見開き、奇人を見上げた。そして人知を超えた美貌に思わず固まる。奇人は肩を竦め、折りたたみ式の仮面を取り出そうとした。
そのとき、
「あの、黄尚書ですか? 戸部の!」
の頬は赤らみ目が泳いではいるものの、美貌を直視することを厭わなかった。
その様子に奇人は仮面を取り出すのを止め、嘆息する。
「そうだ。 夜更けにこんな場所で何をしている?」
「いや、あの、えーと」
もじもじと俯き加減に伺う視線の愛らしさに、奇人は微笑する。それは飛んでるカラスどころか鳶や鷹でも落ちてきそうなほどの破壊力を秘めた笑顔だった。それを直視してしまったは顔を真っ赤に染め、完全に硬直する。
その様子に奇人は忍び笑いを洩らし、こう言った。
「私の所望する舞を舞えたら、今回は見なかったことにしよう」
「本当ですか!?」
浮かべた華やいだ笑みに、奇人は一瞬目を見張る。
しかしすぐに気を取り直し、
「では幻想舞花を」
と言った。
それは天に帰った仙女の物語。
手に入れられぬはずの恋に身を焼いてしまった男の話。
勢いよく扇を開く。
「では……」
は舞う。
時に艶やかに、時に儚く。
シャナリ、シャナリとリズムを取りながら。
それを月と、鳳珠だけが見守った。
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奇人さんとの出会い編です。
さんが顔を見ただけで頬を赤らめるの相手は奇人さんくらいでしょう。
限りなくloveに近いlikeなんじゃないかと思います。