井尾谷くんの恋

*スパコミで無料配布したお話です。






お昼休み開始のチャイムに、肩の力を抜く。窓の外を眺めれば穏やかな日差しが校庭に注いでいた。
軽く伸びをして、生あくびを堪えらる。鞄をあさってお弁当箱を取り出した。
「今日の弁当のおかずはなんじゃ?」
「ミヤにはあげないよ」
「そう固いこと言いなさんな」
 ミヤは楽しそうに笑いながら隣の席に腰かける。
「……よお」
 続いて井尾谷君に声をかけられた。彼は私の正面の席に座る。
 女子の少ない工業高校とはいえ、男子とばかりつるんでいる私は、女友達がいない子に見えるかもしれない。
でも違う。
 今日はお弁当を食べながら今後の話し合いをする予定だ。今後というのはつまり来年のインターハイのこと。
秋口の今、まだ主将をはじめ三年の先輩達も残っているけど、部活の中心は来年の主力であるミヤ達に移っていた。
 親しげに肩を叩いてくるミヤの手を抓りながら、こうなったキッカケを思い出す。
 あれは二年に進級してすぐの出来事だった。
 
 ***

 親しい女の先輩に呼び出しに首をかしげる。面倒見が良いと評判の彼女は言葉を選んで躊躇った後、こう切り出した。
「自転車部のマネージャーを引き継いでもらえん?」
 そのお願いに眉を顰めた。別にマネージャーが女である必要はない。というかここは男子九割の工業高校なので他の部活を含め女子マネは珍しい。しかし先輩はできれば自分と同じ女子にマネージャーを引き継ぎたいと熱弁した。
「男だけにしておくとすぐに部室が汚くなるし! 女の子がいれば見栄を張ってちゃんと掃除すると思うんよ」
 それにあんた可愛いから、応援されたらみんな嬉しいでしょ。もちろんそれだけが理由じゃないけどね。
 先輩の言葉に苦笑いした。女子が少ないとこんな私でも可愛い部類にいれてもらえる。しかし突然のお願いにすぐには頷けず、考え込んでしまった。
 マネージャーの仕事には興味があるし、お世話になった先輩の頼みを断りたくない。
 でも一つ問題があった。
 自転車競技部期待の新星、待宮栄吉。私は彼が好きだった。
 そして宙ぶらりんの失恋をしたばかり。
 私が勇気を出せずうじうじしている隙に彼は学年で一番可愛い女の子と付き合い始めてしまった。相手はあのカナちゃん。顔も性格も良いなんて卑怯だ。完敗だ。ホント嫌になる。私と彼女じゃ比べものにもならない。ミヤが選ぶのも当然だ。今更告白なんてできるはずもなく、どうにもらない憂鬱な日々が続いた。
 そんな相手と一緒の部活なんて辛すぎる。けれど私は卑怯なことに気づいてしまった。彼女は無理でもマネージャーならミヤと先々どうにかなれるかもしれない。
 しかし始めてみたらマネージャー業の想像以上の忙しさに、今日辞めてやろう、明日辞めてやろうと毎日考えていた。不純な動機でマネージャーなんてやるものじゃない。
 しかし、「ホンマに来てくれて良かった。これでうちの肩の荷も下りるわ」なんて尊敬する先輩から言われた日には辞めたいなんて言えない。こうして中途半端な気持ちのまま夏のインターハイを迎える。
だけど大会は私に大きな衝撃を与え、全てを変えてしまった。地元開催ということもあり、たくさんの友人、親戚、OB一同が応援にやってきた。そんな中、二年生エースとして走ったミヤ。総合優勝三位という結果は決して悪いものではない。けれど彼は滂沱の涙を流した。
 インターハイの熱は、燻っていた私の心に火を付ける。本気で彼らに勝って欲しいと願い、できることはなんでもやると誓った。
 そして夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来てミヤはカナちゃんと別れた。
 けれどそれを喜ぶ気持ちになれない。いつの間にかミヤに対する想いが変わっていた。好きじゃなくなったわけではない。でも恋愛感情を上回るインターハイで勝ちたいという気持ちが芽生えた。彼女より、彼らのマネージャーになりたい。頬をなでる風は冷たかったけれど、身体は燃えるように熱かった。
 
 ***
 
 昼休みの教室で、 彩りの綺麗なお弁当に舌鼓を打つミヤ。
「こんな作戦はどうじゃ?  エエ!!」
「インターハイが終わった後、フォローしておかないと来年から後輩が苦労しそう! 井尾谷君はどう思う?」
「そうじゃの」
 なんて盛り上がりつつ、卵焼きを食べる。うちの卵焼きは砂糖がたっぷり入っているのでとても甘い。
 横目で井尾谷君を確認すれば、今日もパンだけ。バランスが悪い。ちょっと考えてからラスト一の卵焼きを箸で摘まんだ。そしてそのまま彼の口元に寄せる。
「ホントはあげたくないんだけど。食べていいよ」
「いや、ワシはこれで足りとるから」
「どう見たって足りないよ。ほら、遠慮しないで」
 すると何故か耳まで真っ赤になって、ミヤに助けを求めた。
「ニヤニヤしとらんで、こいつを止めえ!」
「ラブラブだのう」
 頭の後ろで手を組んで私達を見ていた。意味がわからずぼんやりしていると井尾谷君は落ち込み、ミヤは残念なものを見る目でこちらを見る。しかもため息までつかれた。
「ワシの箸貸してやるから、それでエエな?」
「お箸くらい私の使えばいいのに」
 文句を呟くと、ぱしっと頭を叩かれた。しかも隙をついて、井尾谷君がミヤの箸で卵焼きをかすめ取る。
「あー!!」
「お前んとこのお袋さんは料理上手だのう」
 誤魔化された! でもその言葉は嬉しい。
「本当に? それ私が作ったんだよ!」
 嬉しくなってニコニコする。井尾谷君が咳き込み、ミヤが変な顔をした。
 騒がしく、せわしない日々。
 練習をして、授業を受けて、お昼を食べて、練習をして。
 また春が来た。
 
 ***
 
 洗濯物のカゴを地面に置いて、大きく伸びをする。昨日回収し忘れた洗濯物の為に制服姿のまま来てしまった。
 部活まで時間の余裕はある。
 だから校舎裏手の桜の大木に目を奪われても大丈夫。満開の桜の花びらが散って、一面を薄紅に染めた。
 「わあ」
 口をあんぐりあけて、眺めた。
 「よお」
 聞き慣れた声に振り向く。するとそこには長い黒髪に着崩した制服姿の、井尾谷君がいた。
 瞬間、突風が吹く。
「きゃあ!」
 舞い上がったスカートを押さえ、雨のように降り注ぐ桜の花弁に目を見開いた。
 彼の顔が沸騰したヤカンみたいな色になる。
「わあ、綺麗。じゃない! パンツ見た!?」
 頬が熱くなる。せわしなく視線をうろつかせる井尾谷君に詰め寄った。
 そして口を滑らせる彼。
「水色のパンツなんか見とらんし!」
「それ見てるよね!?」
 条件反射で足下のカゴを持ち上げて振りかぶる。すると思っていた以上にいい手応えがして、きゅーと言いながら井尾谷君が伸びた。
「きゃー! ごめん!!」
 悲鳴をあげながら仰向けに寝転がっている彼に手を差し出す。
 なのに掴まれ、引き寄せられた。
 のし掛かるような体勢に身体が強ばる。
 顔が近い。声が出せないほど気分が悪いのだろうか。
「どうしたの? もしかして声が出ないほど痛かった!?」
「あー、そうやない。ワシはただ」
「ただ?」
 寝転がる顔を覗き込む。
 握られた手が熱い。
 何故か鼓動が早くなった。
 彼の細い目がくしゃりと微笑む。
「綺麗じゃのう」
「え!?」
 まっすぐ見据える瞳にドギマギした。しかし、
「桜。綺麗に咲いたのう」
「あ、うん! 綺麗だね」
 肩透かしを食らった。でも同時にホッとする。
 高鳴りかけた鼓動を鎮め、満開の桜を見上げた。確かに寝転んで見たら綺麗だろうな。ジャージに着替えてやってみよう。
 視線を戻し、にっこり笑いかけると彼は頭を抱えて唸っていた。
「やっぱり打ち所悪かったの!?」
 頭だと、下手に動かすのはまずい。
「すぐに保健の先生呼んでくる!」
「ちょ、待っ」
 叫ぶ井尾谷君を無視して駆け出した。
結局なんともなく、保険医のおばちゃんに怒られただけで済んだ。
 
***

 彼らは晴れの日も雨の日もペダルを踏み続ける。
「マネージャードリンク!」
「マネージャー、怪我したから応急手当頼む」
「先輩!」
 私も目の回るような日々を過ごしていた。
 洗濯機を回しながらドリンクを作り、戻ってきた部員にタオルを渡す。
「お疲れ!」
「ありがとうございます」
 東村くんの背中を軽く叩いたら、にこやかに返事をくれた。笑顔を返すと、彼の後ろから井尾谷くんが顔を出す。
 東村君の顔色が青ざめた。
「ワレ、ちーとツラ貸しんさい」
「誤解です!」
 喧嘩を始めた二人の仲裁をする。
「そんなことしてる場合じゃないでしょ。補給が済んだら行った行った! 今日は山中心のメニューだったよね。スプリンターは大変だけど応援してる!」
「はい!」
「おう!」
 声が揃った。
 二人ともスプリンターだもんね。でも東村君は苦笑し、先に出ますと言って背中を向けた。
「ワシの補給はまだじゃ!」
 井尾谷君の焦った声に目を瞬かせる。しかしゆっくりしている場合でもないなと考え直し、新しいドリンクを差し出した。
「がんばってね」
「おう!」
 彼は相好を崩し片手を上げ、去って行った。
 同時に大きく鼓動する心臓。
「不整脈かな?」
 しかし胸に手を当てても異常はない。まあいいかと気を取り直し、補給食の準備に取りかかった。
 そんな風に日々は過ぎ、やがて二度目の夏が来る。
 二回目とはいえ、もう三年生。最後の夏だ。
 みんなが無事にゴール地点に帰って来ますように。勝てますように。
 真剣に祈った。
 
 ***
 
 一日目の集団落車にキモを冷やし、補給所で声援を送る。呉南は部員数が多いので、全地点に先回りする必要はない。でもなんだかんだで丸一日駆けまわり、とても疲れた。
 二日目の夜、同室の後輩マネージャーに声をかけると、死んだように寝ていた。掛け布団を直してあげてからそっと部屋を出る。
 今のところミヤの作戦通りレースは進んでいる。けれどいつどこでなにが起きるかわからないのがロードレースだ。
 補給をしているだけの私達ですらこの疲労。走っている選手の疲れは計り知れない。
 考え事をしながら大浴場へ向かった。
 掃除が行き届いている風呂場に気分がほぐれる。自分でもよくわからない声をあげてお湯に浸かると疲れが取れた。そしてよく暖まってから湯船から出て、新しいジャージに着替え、ドライヤーで軽く髪を乾かした。
 そうして女風呂と書かれたのれんをくぐると、男風呂から出てきたミヤと井尾谷君にばったり会った。
「おう、ワレも風呂入っとったんか」
「うん。二人ともちゃとお風呂上がりのマッサージ受けてね」
「去年のインターハイの時は、ヒイヒイ言ってたのにしっかりしたもんじゃ。マネージャーが板についたのう」
「当たり前でしょ」
 胸を張りつつも嬉しかった。ジワジワと喜びが広がる。
 その時不意に、私の片思いが完全に終わっていたことに気付いた。ミヤへの思いがいつの間にか淡い恋心から友人、あるいは戦友に対するものに変わっている。
 その事実にぼんやりしている間に、彼が近づいてくる。
「髪、半乾きじゃのう」
 井尾谷君のさらりとした黒髪が視界を過ぎった。
「部屋にもドライヤーあったし、あとで乾かすよ」
「風邪引かないようにな」
「ありがと」
 見上げて微笑むと、目をそらされた。少し寂しくなって、視線を彷徨わせる。するとニヤニヤしているミヤと目が合った。彼はその表情のまま近づいてきて、私と井尾谷君の肩を掴んで叩く。
「急用を思い出したから先にいっちょる。おまえらはゆっくり後から来ればエエよ」
「ミヤ!?」
 しかし立ち止まらず歩き去ってしまった。
 井尾谷君は忙しなく天井を見たり誰もいない方向を見たりしていたけれど、私が声をかけると、
「何かワシが手伝うことあるか!?」
 と聞いてきた。
「だいたいの準備は出来てるから大丈夫。それより、ちゃんと休んで」
「あー……そうじゃな」
「うん、部屋に戻ろ?」
 並んで歩きながら、チラチラとこちらを見てくる視線の意味を考える。
 ポンと手を叩いた。
 私、わかったよ!
「井尾谷君!」
「な、なんじゃ」
「マッサージしてあげようか?」
 女子に自分からは頼みづらいよね。でも大丈夫、マッサージャーが足りなくなった時のために、バッチリ練習している! けれど彼はアワアワしながら、違う、そんなこと言っとらん! と断ってきた。
 なーんだ遠慮しないでもいいのに。残念。
 部屋の前で別れるとミヤに、「なんじゃもう帰ってきたのか」と呆れ顔をされた。
 そして運命のインターハイ三日目が来る。
 
 ***
 
 富士山五合目。インターハイのゴール地点。
 一年間の終着点。日差しが強く、立っているだけで汗が噴き出した。彼らが毎日本当にがんばって練習していたのを知っている。だから勝って欲しい、勝って報われて欲しい。けれど勝者は一人。
 接戦の末、総北高校と箱根学園のジャージがゴールに飛び込むのを見届ける。
 目の前が真っ白になった。私はどんな顔をして彼らを迎えればいいのだろう。
 待ちに待った緑のジャージが現れた瞬間、涙が溢れそうになった。しかし予想と違い、ミヤは片腕をあげ、晴れやかな表情でゴールをする。見ていたら自然と言葉が出た。
「みんな、お疲れ様!」
 泣いている部員達の肩を叩いて、レギュラー陣を迎える。疲労で倒れそうなメンバーを介抱して、ボトルを渡して。肩にタオルをかけた。
「誰か肩貸してあげて。まずはテントで休憩しよう。それから……」
「のう」
 振り返る。すると井尾谷君が私をまっすぐ見据えて歩いてきた。普段の涼しい顔が崩れ、息苦しそう。心配になって荷物をあさる。
「お疲れ、ドリンクは……」
 しかし言い終わるより早く、二の腕を掴まれた。
 そして抱きしめられる。
 ジャージは汗でびっちょりだけどそれは私も同じで、全身が心臓になったんじゃないかと思うほどうるさくて。
「い、イビた、え!?」
「ホンマは勝って言うつもりだったんじゃ」
「うん。でも、あのっ」
 誤魔化そうとしたのに、間髪入れずにその言葉をぶつけられた。
のことが好きじゃ」
 意味を理解した途端、ぽんと音を立てて顔に熱が集まる。
 抱きしめられた腕はすぐに解かれ、離れていく。残るのはニヤニヤしている部員達と緊張感が完全に抜けた生ぬるい空気だけ。
「〜っ! 〜!! みてないで早くテントに移動しなさーい!!」
 のろのろと歩き始めた彼らのお尻を蹴るフリをして、テントに追い立てた。
 
 ***
 
 宿舎の庭で夜空を見上げた。
 明日の朝には広島へ帰る。
 インターハイの喧噪と熱がまだ身体に残っていて、やっぱり悔しいなと独りごちた。もう一度夜空を見上げようとして、首筋に当たった冷たい感触に悲鳴を上げる。
「ひゃっ!?」
「もっと色っぽい声出せんのか?」
「ミヤ! セクハラで訴えられたいの」
 オレンジジュースを手渡し、断りもせず隣に座ったミヤ。
 珍しいものを彼の手の中に見つけ、首を傾げた。
「ミヤってコーラ派じゃなかった?」
「奢ってもらったんじゃ」
 飲みかけのヘプシを眺める。理由は知らないけど、スッキリした表情に口元が緩んだ。オレンジジュースのプルタブを上げ、夜空を眺める。
「さて、ワシは先に戻るとするかのう。おまえらも冷えないうちにな」
 おまえら?
 聞き返そうと口を開いた瞬間、彼の姿が目に入った。立ち上がったミヤと入れ替わるように現れた井尾谷君に目を白黒させる。
 焦って目をそらし視線を落とした。しかし彼は黙って私の隣に立つ。
「……隣に座ってええか?」
「うん」
 顔を上げると、黒い瞳がまっすぐに見つめていた。
 どうしたら良いかわからずに俯くと、明るい声音で話しかけられる。
「悪かったのう」
「え?」
「あんなタイミングで……しかも負けておいて」
 悲しげな笑顔に首を横に振った。
「そんなことない! もちろん勝って欲しかったけど、でも……みんなが無事にゴールしてくれて嬉しかった」
 詰め寄る私に、井尾谷君は驚いた顔をした。興奮しすぎた事に気づいて咳払いしながら下がる。言葉を探して視線を彷徨わせ、呟いた。
「それに、驚いたけど……嫌じゃなかったから」
「ホンマか!?」
「うん、でも」
 なんと言ったらいいかわからなくて口ごもる。すると焦った声音が降り注いだ。
「返事はすぐでのうてエエから!!」
「……うん」
 あまりの迫力に頷く。すぐに返事しなくてもいいの?
 でも今は優しさに甘えさせてもらうことにした。
 伸びをしていつもの私達に戻る。
「改めて、インターハイお疲れ様。明日は早朝の便で広島に帰るから寝坊しないようにね」
「おう、マネージャー」
 缶ジュースで乾杯をした。
 
 ***
 
 インターハイが終わりあっという間に一ヶ月が過ぎた。
 二学期も始まり学校に部活の引き継ぎにと忙しい毎日を過ごしている。今年の春から後任として育てていた一年生マネージャーも仕事に慣れ、そろそろ手を離しても良い頃合いだ。
 真っ赤な夕日を見上げた。
 校門に影が伸びる。
 瞼を閉じれば思い出す熱い三日間。そして、
「井尾谷君」
 息を弾ませながら近づいてくる彼。
「一緒に帰ってもええか」
「うん」
 隣に並ぶ。
 二人で校門を通り過ぎた。
 たわいない話をして、笑って、時々困らせて。以前はここにミヤも加わっていた。でも今はいない。一年前に同じことをされたら寂しくてたまらなくなったと思う。
 時間をもらえて良かった。
 覚悟を決めて足を止める。驚いた顔の井尾谷君を見つめ、すぅっと息を吸った
「この前の返事のことなんだけど」
「おう」
 彼は清々しい笑顔を浮かべた。
 胸が高鳴る。
 ドキドキと心臓がうるさくて、飛び出すんじゃないかと思った。胸に手を当てて、もう一度深呼吸をする。
「あのっ、わた、私ね! 色々考えてみたんだけど、井尾谷君のこと、好きみたい!」
 かぁっと顔が熱くなる。視線を落とすと長い影が地面に伸びていた。
 しかし無言。返事がないのをいぶかしく思って顔を上げると、耳まで真っ赤になって固まった彼がいた。
「お前はミヤのことが好きなんじゃ……」
「知ってたの? うん、好きだったけど、今は違うよ。今は仲間として好き」
「ホンマに?」
「ホンマに」
 頷くと、井尾谷君の表情に喜色が広がる。
「ずっと好きじゃったけん。ワシとつきおうて!」
「はい。あのふつつか者ですがよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げると、笑われた。
「なんじゃ嫁にでも来るつもりか?」
 恥ずかしくなって顔を伏せる。
「それは卒業してから考えるね」
「そ、そうじゃな!」
 紅色の夕日とはにかんだ笑顔。
 優しく握られた手の感触に頬が熱くなった。