年下の男の子、年上の女の子

卒業式

そこには様々な表情があった。うっすらと涙を浮かべながらも笑顔で慰め合う女の子達。互いの健闘をたたえあうかのように、肩を叩き合う男子生徒。
自分が主役だった時には俯瞰できなかった光景に、感嘆の息をついた。
──今日は箱根学園の卒業式。
迷った末、「行ってもいい?」と聞くと輝くような笑顔が返ってきた。どう誘ったら来てくれるか考えてた、と浮かべた笑みに照れる。
隼人が三年間過ごした箱根学園。実感を伴って彼の高校生活を知ることはできないけれど、一度くらい自分の目で見てみたいと思った。
私は父兄ではないので卒業式には参加しない。隼人からはなんとかする! と言われたけど、さすがに遠慮した。
それ故に、校門の前で卒業式が終わるのを待っている。門前には立派な桜の大木がそびえ立ち、三分咲の花弁が式を彩っていた。
ドキドキする。今日のために買ったフォーマルワンピースは浮いてないだろうか。化粧は変じゃない?
私が主役でもないのに気になってしまう。隼人は校内を案内してくれると言っていたけど、本当にいいのだろうか。それに先ほどから、周囲の人達から遠巻きにされている様な気がするけれど、何故だろう。
どこか変なのかな。
ぐるぐると考えながら待つ。
すると、ひときわ大きな黄色い悲鳴が響き渡った。
何が起きたのかと顔を上げると、大勢の女の子たちに囲まれ、自転車競技部の面々が現れた。
彼女らはしきりに彼らにボタンを強請る。それに応える東堂君、追い払う荒北君、笑顔で受け答えをしている隼人、何を考えているのかよくわからない福富君。
その雰囲気に圧倒され、桜の大木の影に隠れた。見上げると、先染めの薄紅の花弁が空の青さと入り混じり、ため息が出そうなほどの美しさを誇っている。
状況も忘れて見入った。
しかし視界は大きな影に遮られる。

「おめさんは、すぐ逃げるよな」

咎める声音に、くちびるを尖らせた。

「だって、お取り込み中みたいだったから」

閉じ込めるように木の幹に付かれた腕に触れた。
白いワイシャツに青いストライプジャケット、赤いネクタイ。そういえば制服姿って初めててみたかも。と内心で吐息をついた。普段と違う姿に胸が高鳴る。
頼んだら家でも来てくれるかな?
そんなことを考えてるいと、厚いくちびるがニンマリと笑った。
嫌な予感に反射的に逃げ場所を探す。
だけど、あるはずもなく。
肩を抱かれて、木陰から引き摺り出された。

「隼人っ」

しかし私の声は黄色い悲鳴にかき消された。

「きゃー!? 嘘!?」
「誰!?」
「いやぁー!!」

すでに怒号に近くなったそれに目を白黒させる。逃げたかったけれどしっかりと肩を抱く腕がそうはさせじと力をこめた。
抗議の意思を込めて見つめると、楽し気な視線が返ってきた。次いで口を開き、女の子達に宣言する。

「オレの第二ボタンは予済みだから、ごめんな」

そしてブチリ、とボタンをちぎって私の手の中に落とす。女の子たちに申し訳ない気持ちになった。でも、

「ありがとう」

頬に熱が集まり、囁くように告げると腰に手が回って胸元に引き寄せられた。

「だあから言ったろうが、新開はもうイカレちまってんの。とっとと諦めたほうが身のためだってヨオ」

荒北君の言葉に、

「ひどーい!」
「荒北うるさい!」

と彼への避難が飛んでしまった。
慌てて、隼人の腕を抜け出し喧騒に飛び込む。
っ」と焦ってかけられた声は無視した。

「あの」

私が声をかけると視線が集中した。
あまりに真剣な眼差しに怯みかける。
けれど、一歩も下がらず頭を下げた。肩口を髪が滑り落ちる。
顔を上げるとザワリと空気が動き、次いで静まった。

「ごめんなさい! 卒業式に突然部外者が現れて何様だって思うよね。それでも、私どうしても隼人が三年間過ごした学校を見てみたかった。こんなこと言って本当に申し訳ないんだけど、私隼人のことが大好きだから隼人も第二ボタンも譲れません。ごめんなさい」

もう一度深々とお辞儀をして、顔を上げた。
すると彼女らは、涙を浮かべながらも、背中を向けて立ち去ってくれた。
ほっと肩の力を抜いて振り向くと、顔をほんのり朱に染め明後日の方向を向く隼人と、ニヤニヤ顔の元レギュラー陣がいる。
時間差で恥ずかしさがこみ上げ、有無を言わさず隼人の腕を掴んで校舎に向けて駆け出した。

***

「えーとね」
「ああ」
「あのね」

腕を絡めて歩く。今更先ほどの告白の恥ずかしさに気づき、彼の腕に顔を埋めた。

「なんでもない」
「ふーん?」

余裕の仕草に腹が立って、軽く二の腕を叩いた。校舎内を案内してもらい、最後に箱根学園自転車競技部の部室へ。
大きな建物に、今更ながら吃驚した。

「隼人はずっとここで頑張ってたんだね」
「まあな」

腕を離して向かい合う。
赤い髪が風に靡き、垂れた瞳が微笑んだ。

「あの時さ……」
「うん?」

隼人の言葉に首を傾げる。すると一瞬目をそらして、まっすぐ私を見据えた。

「初めて会ったあの時からさ」
「うん、もうすぐ三年だね」

そんなに前のことなのかと目を細める。彼は頷き、私の両手の指先に触れた。ぎゅっと握りしめてくれる熱に酔いそう。

「あの時会えて良かった。あれはオレにとっては偶然じゃなくて、運命だった。さっきもはっきりオレのこと好きって言ってくれてありがとな。オレもが大好きだぜ」

少し語尾が掠れていた。それが嬉しくてたまらない。
えへへと笑うと、抱擁が返ってきた。

「ずっと一緒にいような」
「うん!」

返事をすると、抱擁する力が緩んだ。次いで指先を絡めるように手を繋がれ、耳元で厚いくちびるが囁く。

「今日、うちの両親も来てるんだ。紹介してもいいよな」

疑問系のわりに、断る隙を与えてくれない。

「え!? ちょっと、今!? 待ってお化粧直ししてから……私の格好変じゃない!?」
「今日も可愛いよ」

いつになく強引だ。
このままではまた引きずられる。

「どちらにいらっしゃるの?」
「多分、校門あたりじゃねえかな」
「う……うー、わかった、がんばる」

深呼吸をして、覚悟を決めた。
空を見上げると、抜けるような青。緊張に熱くなった頬を掌で冷やしながら、隼人に続いて歩き出した。