年下の男の子、年上の女の子

桜祭りの夜に

*弱虫ペダルオンリー「全開ケイデンス」にて無料配布したお話です。
ほんのりR15、単行本未登場キャラが出てきます。元ネタはドラマCD収録「箱根学園の桜祭り」です。




背後から一陣の風が吹いてきた。
その勢いに驚き、浴衣の裾と髪を抑える。
「わあ」
視界が薄紅に染まった。ぽっかり開いた口の中に桜の花弁が入る。樹幹が揺れて、地面を埋め尽くすほどの花びらが舞い散っていた。
「オレが誘うだけのこと、あったろ?」
繋いだ手を握り返す。
すると垂れ気味の瞳が閉じ、バチンとウィンク。次いで彼の指先が近づき、口内の花弁をすくい取った。私は赤らむ頬を隠して、地面に落ちた花弁を下駄で蹴る。
祭り囃子と人々の喧噪が聞こえた。

***

隼人は高校卒業以来、以前に増して私の部屋に入り浸るようになった。それは大学の授業をちゃんと受けているのか疑わしくなるほど頻繁で、気づけば彼の着替えがタンスの一部を占拠し、洗面所には当たり前のように歯ブラシが二本並んでいた。
ため息をつく。嫌なわけじゃない。でも心配になってしまう。しかし問題のタレ目男は人の話を聞かず、私のベッドに寝転び、赤いクッションをフニフニしながら携帯電話をもてあそんでいた。
「なあ」
お気に入りのクッション返せ! 抗議を込めてボディーアタックをする。だが軽々と受け止められ、抱き込まれてしまった。体温の高い腕が私の頭とベッドの間に差し込まれ、反対の手でお尻を撫でられる。
「隼人のエッチ」
「そうか?」
天然なのか狙っているのかイマイチわからない受け答えに、くちびるをつついた。すると仕返しとばかりにスカートの中に手を突っ込まれる。
「はーやーとっ!」
お尻をやわやわと揉まれる感触に頬を抓った。すると手の動きが止まりぎゅっと抱きしめられる。甘やかしたらダメだと理性でブレーキを踏みつつ本能で頭をひとなで。
巨大な猫は気持ち良さげに瞼を伏せた。
「もう、君は」
言葉の続きは厚いくちびるに塞がれた。
執拗に吸い付き、私の身体を熱くする。次いで大きな掌が胸元に降りてきて──

***


「君の辞書には自重って言葉がないのかな!」
鏡を見ながら、コーンシーラーを首筋に塗りたくる。
しかし彼は堪えた様子もなく上半身裸のまま勝手に寛いでいた。汗が鍛え抜かれた胸板を伝い落ち、割れた腹筋へとたどり着くのが色っぽい。
「んー?」
「何、自分は関係ありませんみたいな顔してるの? コレ、隼人のせいだからね」
着替えるからあっち向いてと隼人の首を曲げ、新しいキャミソールに手を伸ばす。それを被り、鏡で首筋の赤い跡が目立たなくなっていることを確認した。その後ハンガーにかけていた浴衣を取り出す。
「いいか?」
大丈夫と答えると、帯を片手に歩み寄ってくる。ワクワクした表情に嫌な予感が過った。
彼は帯と私を交互に眺めながら問いかけてくる。
「なあ帰ってきたらこれで縛っていいか?」
「え……ダメ!」
魅惑的な笑顔に一瞬頷きそうになった。危ない、緊縛プレイとか承知したら最後泣くまでヤられる。絶対イヤだ。
えーダメか? という言葉にそんなこと言うならもうエッチしない! と叫ぶ。
「……そうか……」
肩を落として意気消沈しつつも、すぐに気を取り直して浴衣を着付けてくれる。
着付けができると聞いたときはどこの女に習ったの!? と小一時間問い詰めそうになったけれど、何のことはない東堂君に教えてもらったそうだ。
でもなんでまた女物の浴衣? という疑問には、着せられるなら脱がせても平気だろ。バキュン! とのこと。この子やっぱりバカなんだなって思った。
そんなことを考えている間にも、浴衣の着付けは着々と進み、最後に帯を蝶結びすることで終えた。鏡の前でくるりと回って確認する。すると白い布地に赤い金魚が泳いだ。
「着付けありがとう。どうかな?」
問いかけると数秒の間の後、決めポーズと共に答えが返ってくる。
「出かける前に一発やろうぜ!」
「ヤダよ」
チョップをすると、チェっと言いながら合わせを直してくれた。ありがとう。でもおっぱい揉まないで。うん、お尻ならいいって意味じゃないからね。
なおも触ってくる男をこづき、鏡と向かい合った。かんざしで髪を軽くまとめ、浴衣に合わせて化粧をする。
巾着にお財布と携帯を入れて準備完了。待ちくたびれていた隼人の髪を撫でてねぎらった。
「お祭り、間に合うかな」
「多分大丈夫だろ」
「君の多分は当てにならないからなぁ」
からかうと、繋いでいた手を引かれ、指先に口づけられた。
「信じろよ」
片目を閉じて魅了のウィンク。
「バカ」
隼人はずるい。くちびるを尖らせると、触れるだけのキスが落ちた。
こうして私達は連れだって桜祭りの会場に向けて家を出る。
バスに揺られること数十分。咲き乱れる桜の数々に感嘆の息を付いた。大きな公園を中心に、昔ながらの屋台が所狭しと並んでいる。金魚すくい、りんご飴、お面、型抜き、チョコバナナ、射的。見ているだけでワクワクした。
すると隼人は右手でピストルのポーズをとり、バキューンと呟きながら射的の屋台に狙いを付ける。
「アレ、欲しいのか?」
「取ってくれるの?」
特に射的を見ていたわけではないのだけど、景品を取ってくれるなら嬉しい。きっとすごくかっこいいよね。
屋台に近寄ると、お店のお兄さんがにこやかに話しかけてきた。頷いて金額と景品について聞く。すると隼人の機嫌が急降下した。
「どうしたの」
「別に」
かんざしをしゃなりと鳴らして小首を傾げる。じっと見つめると照れくさそうに後頭部をかいた。
ヤキモチかな? 可愛い。
袖をひっぱって、強請る。
「隼人、あれとって。うさぎさん」
「任せとけ」
再びバキュンポーズを取り、獲物に狙いを定めた。
赤毛がふわりと風に揺れる。
空気が張りつめ、コルクがピストルから飛び出した。
「きゃー! すごい!」
見事命中。うさぎさんは驚愕の表情を浮かべ後ろ向きに倒れていった。
誇らしげな姿にうさぎさんを抱きしめながらお礼を言う。するとうさぎさんごと両肩を掴まれた。息がかかるほど近づいてきて、前髪の間から真剣な表情を覗かせる。
「写真撮ってもいいか?」
「えっと、どうして?」
「おめさんとぬいぐるみのツーショット、可愛すぎるだろ。他の男には見せられねエ。でもオレはもっとみたい。つまり……写真撮ったらウサ子はオレが持つからな」
リボンがついてるからウサ子なのかな? イマイチ言いたいことがわからないけど、まあいいか。向けられるまま携帯に微笑み、ウサ子を渡した。
そうして再び歩き出す。途中屋台でじゃんけんに勝ち続けた隼人が両手に抱えきれないほどチョコバナナをもらったり、綿あめの屋台を眺めたり、公園中に咲き乱れる桜に見入ったりとお祭りを楽しんだ。
宴もたけなわ、最後に記念桜を見ようと、指先を絡めて手を繋ぎ直す。彼曰く記念桜近くの桜並木がとても綺麗なのだそう。詳しいねと言ったら、去年は箱学の皆で来たと教えてくれた。楽しそうに話す姿に、私も嬉しくなる。
福富君とは大学も一緒だけど、他のメンバーとはバラバラだ。最近私の部屋に入り浸っているのも淋しさの反動なのかもしれない。うさぎさんは寂しがり屋だものね。
人混みを通り抜け、薄紅の絨毯を踏む。大きな桜を背景に、たこ焼きの匂いが漂ってきた。
その時、隼人が急に足を止めた。ソースの匂いに気を取られていたせいで太い腕にぶつかってしまう。驚きの声をあげると、申し訳なさそうな顔で覗き込まれた。次いで取れかけたかんざしを直してくれる。
「ごめんな」
「ううん、でもどうしたの急に立ち止まって?」
疑問の答えは背中の向こう側にあった。
連れ立って歩く、少年達。
まつげが特徴的な泉田君と銀髪の少年、さらに真波君と……隼人とそっくりの男の子。
隼人の後輩達だ。それはいい、箱学生がよく集まるお祭りだと聞いていたからもしかしたらと思っていた。問題はそこじゃない。
問いただそうと顔をあげた。しかし泉田君の「新開さん!!」という喜色混じりの声に遮られてしまう。
「卒業式以来だな」
「はい!」
飼い慣らされたわんこの如く駆け寄ってきた泉田君。隼人も嬉しそうだ。邪魔はできない。疑問は一旦置いておくことにした。
「おめさんたちも来てたのか。悠人以外は知ってると思うけどオレの彼女」
腰に手が回り、ざっくりと紹介された。一対一ならさほど気にならないけど複数から注目されると恥ずかしい。ぺこりと頭を下げ名乗る。次いで小声で問いかけた。
「ねえ……君にそっくりの子ってやっぱり」
「ああ、弟の悠人。初めてだったか?」
コクコクと頷き、悠人君を見た。黒髪でやや細身ということを覗けば、隼人が分身したのかと思うほどそっくり。
じぃっと見つめていたら、ニコっと微笑んで手を降られた。つられて笑み崩れると、大きな掌に視線を遮られる。
「悠人、箱学には慣れたか?」
掌をさけて近づこうしたら、腕を掴まれ背中に隠された。
これでは悠人君が見えない。仲良くなれない! 押し合いへし合いをしてみたけど全然勝てなかった。
「泉田と黒田にも迷惑かけてないか?」
「いいえ新開さん!」
ぴょこぴょこと跳ねると、悠人君の黒髪が見えた。でも浴衣ジャンプでは隼人の背中にぶつかるばかり。
「もう、君はどいて!」
ぱしぱし背中を叩いていると、背後から真波君の笑い声が聞こえた。
「……真波君、ひさしぶり」
「はい」
のほほんとした笑みを浮かべる少年。
さりげなく浴衣の裾を直し、向かい合った。考えてみれば彼と話すのは去年のインターハイぶり。
話題を探して視線を彷徨わせる。その時、ソースの匂いが漂ってきた。
「真波君は何か食べたの?」
「オレちょっと遅刻しちゃって。もうお腹ペコペコ」
その言葉に巾着を持ち直し、問いかけた。
「たこ焼き食べる?」
「いいんですか」
弾けるような笑顔に、お姉さんが何でも買ってあげると言いかけた。真波君、末恐ろしい。たこ焼きを頬張る姿に目を細めた。
すると黒田君が肩をいからせ歩いてくる。
「山岳、何やってんだ」
「あ、黒田さん。新開さんの彼女さんに奢ってもらいました」
「お前なア」
すいません、と頭を下げる彼に弁明する。別に強請られたわけではないのだから。
「ご馳走様でした!」
たこ焼きを頬張りながら黒田君に引きずられていく真波君に手を降った。
さて隼人は泉田君と話しこんでいるみたいだし、桜でも見ていようかな。
大木を見上げたその瞬間、
「こんばんは」
薄紅の花弁を背景に悠人君が現れた。
黒髪が紅色と混じり風に靡く。
「いつまで経っても隼人君が紹介してくれないから自己紹介しますね。箱学一年、新開悠人です。」
満面の笑みを浮かべる少年。人なつっこい雰囲気に、顔は似ていても性格は違うんだなと当たり前の事に感心した。微笑み返して、改めて名乗る。
「実は母と先輩達からお姉さんのこと聞いて、一度会ってみたいと思ってたんです」
「おか、お母さん……か、ら? お、お姉さん……」
『お姉さん』という呼び方に照れる。両手を頬にあて熱を冷ました。
恥ずかしい。
でも嬉しい。
モゾモゾしていると、悠人君が近づいてきた。
「話に聞いてたよりずっと可愛いですね! きゅんとします」
「きゅ?」
バキュンとかきゅんとか、新開家って決め台詞を言わないと済ませられない家系なのかな。お父さんはそんなことなかったと思うけど。
そんなことを考えながら見つめ返す。少し考えてから口を開いた。
「悠人君って……」
しかしその言葉は人攫いの行動によって遮られる。両肩に手を置かれたと思ったら、次の瞬間には腕の中に抱き込まれていた。
「そこまで。悠人、お兄ちゃんの彼女に近づきすぎるのは良くないぞ」
「兄貴、ヤキモチ?」
「さアな?」
よく似た顔が二つ揃って牽制しあっている。二人の会話を眺めていたら、半強制的に身体ごと後を向かされた。
「じゃあオレたちは桜見て帰るから」
「はい、新開さんお会いできて嬉しかったです」
後輩達の言葉に頷き、手を上げる。ずりずり押されつつ、私も彼らに手を降った。
「練習頑張ってくださいね。悠人君もまたね」
悠人君は最後までにこやかに微笑んでいた。

***

人混みを抜け、二人きりに戻る。桜を見上げ無言で歩いていたけれど、ムッとしたような雰囲気を感じてくちびるを尖らせる。
「怒ってる?」
「怒ってねエ」
「怒ってるでしょ」
「だから怒ってないって……」
ハァ、と大きなため息を付かれた。
桜並木の真ん中で立ち止まり向かい合う。
「悠人君と話すのダメだった?」
「ダメじゃない。むしろ弟と仲良くしてくれるのは嬉しい……はずだったんだけどなア」
掌で口元を被う。
もう一度ため息をついた。
「悪い、コレ完全にヤキモチだ。だっておめさんオレの顔好きだろ」
その言葉に絶句する。
垂れた目尻と肉感的なクチビル、整った容姿。確かに好き。大好きだよ。でも直球で聞かれても困るし、ナルシストみたいで気色悪い。
「顔と怒ってることに関係があるの?」
「だって悠人とオレ、顔が似てるだろ」
「そっくりだね」
新開家の血怖い。
えーと、つまり悠人君にヤキモチ焼いてた?
「弟でしょ?」
「でもおめさんにとってはまだ弟じゃないだろ」
「未来の弟だよ」
上目づかいに見上げると、みみたぶが赤くなった。
クスリと笑って、頬に手を伸ばす。
「確かに私は隼人の顔好きだよ。でも顔だけで好きになったわけじゃないもの」
言いながらも恥ずかしくなって、目をそらした。
「ロードが早いところも、優しいところも、弱いところも、ちょっと強引なところも、私を守ってくれるところも、隼人の全部が好きだよ」
言い切ると、顔に熱が集まってきた。頬に手を当てて冷やす。しかし不意に抱きしめられて、身体に力が入らなくなった。隼人の心臓が早鐘のように打っている。
周囲の音が消えてそれだけしか聞こえなくなる。
背中に手を回し、抱きしめ返すとコテンと肩に彼の頭の重みがかかった。
視界を桜花が横切る。
「……あっ」
強い風の感触に顔を上げる。
すると桜吹雪が風に運ばれて、並木道に花弁のアーチができた。
「……うわぁ」
「綺麗だな」
厚い胸板におでこをくっつけ、頷いた。