彼の異名はピークスパイダー


弱虫ペダル巻島に恋する女の子(同級生)のお話(完結)
ご感想等いただけると嬉しいです→ウェブ拍手
SDSランキング
2014-1-11〜2-2
←indexに戻る

  1. 恋に落ちる音がした
  2. 罰ゲーム?
  3. 彼の好みのタイプって?
  4. 恋のライバル?
  5. 感情に蓋をして
  6. そんなハッピーエンド
  7. あとがき
その後のお話↓
  1. 毛布に顔を埋める
  2. ヤキモチの話
  3. 手を繋ぐ話
  4. 七夕の夜

恋にちる音がした


顔を上げると、教室の窓から見える校庭は真っ暗で、ぽつりぽつりと灯る電灯の光だけが頼りなく揺れていた。
「バスっ……!」
慌てて教科書を鞄に詰め込み、腕時計に視線を落とす。
最終バスまであと五分。
誰もいない教室を飛び出し、普段は使わない裏門から表門へ抜ける近道を走った。これを逃したら真っ暗な坂を延々と下るハメになる。
ずり落ちかけた黒縁眼鏡を抑え、肩口で跳ねるお下げを払う。居残り勉強に集中しすぎたこと悔いながら走った。
そうして裏門前を通り過ぎるはずだった。けれど飛び込んできた奇声に身体が硬直する。

──ショオオオオ!

立ち止まり鞄を構え、声の方向へ目をやる。
指先の震えを気合いで止めた。でも涙目になる。
かくして声と同時に電灯の明かりに『それ』の姿が浮かび上がった。
「ショオ!!」
しかし現れたのはお化けでも変質者でもなく、緑色の髪を左右に激しく振り乱しながら自転車に乗る男だった。
ずり落ちかけた眼鏡を直すことも忘れて、彼に見入る。
「あ?」
その声に、あんぐりと開いていた口を閉じた。彼は裏門坂を登り切ると肩で息を付き、顔を上げる。
目が合った。
だけど同時に裏門前の時計が目に入る──バスの出発時間だ。
「やばっ!!」
返事もせずに走り出した。
駆け込んだバスの中、椅子にへたり込んで荒い息を整える。肩で息をしながら裏門坂の方を見た。けれどそこには誰もいない。
電灯がチカチカと三回瞬いて、門扉を照らしていた。

それが私達の出会い。
翌日彼が自転車競技部の部員だと知り、クラスメイトの巻島君だと気づいた。
たぶん向こうは私のことなんて気にもとめていない。
だって巻島君は目立つ。対して私は地味だ。
玉虫色の髪のクラスメイトと、黒縁眼鏡にお下げの私。
接点なんてあるはずもない。
ただ、彼は独特の髪型と相まって目立つ存在ではあるものの、排他的な雰囲気のせいか女子と話している姿を見たことがない。けれど同じ部活の、金城君田所君らと話しているときは楽しそうなので友達がいない、というわけではなさそうだ。
その金城君は入学早々、落ち着いた雰囲気と整った顔立ちでクラスどころか上級生の人気までかっ攫っている。しかも彼はそれにあぐらを掻かず、常に真面目で優しくそこがまた良いと人気はうなぎ登り。実際私がクラス委員の仕事で、重い荷物を持っている時に助けてくれた。変わって、田所君はパン屋さんの息子で、人気者というのとは違うが意外とモテている。理想のお婿さんだともっぱらの噂だ。
巻島君はモテない。
けれど私の目に飛び込んでくるの、緑髪と気だるげな仕草ばかり。
理由がわからなくて首を傾げた。
そして時々、裏門前で彼と遭遇する。電灯に明かりの下、左右に大きく身体を揺らしながら坂を上る巻島君。どうして彼ばかり気になるのかわからない。
その理由に気づいたのは夏休み、母のお使いでスーパーまで買い物に行った帰り道だった。
偶然にも自転車競技部の練習風景に出会う。彼らは直線の国道をすごいスピード走っていた。つい緑の影を探す。すると巻島君は集団の一番後で苦しそうにペダルを回していた。
自転車が突風を巻き起こす。
誰も私を見ない。
彼が苦しげな表情で私の真横を通り過ぎた。
吹き荒れる緑の旋風。
その瞬間、トクンと心臓が跳ねる。
あっという間に見えなくなった後ろ姿を見つめた。
家に帰り、上の空で夕飯を食べてお風呂に入り、ベッドに寝転ぶ。
「……あれ?」
天井を眺めてぐるぐる考える。
横向きに寝転び、激しい鼓動に混乱した。
そうして一晩中悩んで、カーテンの隙間から朝日が差し込む頃恋に落ちたことに気づいた。


NEXT





ゲーム


小学校で二回、中学では一回。
それはオレが罰ゲームの告白をされた回数だった。
当時は背も低い上変わり者扱いされていたので、罰ゲームの相手にちょうど良かったのだろう。泣きそうな顔で告白をしてくるいじめられっ子と角の向こうでクスクスと笑う女達。それはちょっとしたトラウマになった。
だが自転車競技を続け、手足だけではなく背も伸びるにつれ、罰ゲームの相手にされることはなくなった。
と思ってたんだけどなァ。

ため息を飲み込んで鼻の下を撫でる。次いで縮こまるクラスメイトの姿を眺めた。
真っ黒い髪をお下げにし黒縁眼鏡をかけた少女は、地面を見つめたまま固まっている。
下駄箱に呼び出しの手紙と校舎裏というシチュエーション。少し期待していたけど、彼女の姿を見て肩を落とした。
地味で化粧っ気のないしんどそうな顔。そこには恋する女子独特のキャピキャピした雰囲気はない。
その姿に過去の苦い経験が蘇った。
それはビジュアルだけの問題じゃない。このクラスメイトが押しつけられた学級委員もしっかりとこなし、勉強にも余念がない真面目なタイプだからだ。
何故オレがそんなことを知っているかと言えば、居残り勉強をしている姿を見かけるから。クライムの自主練をしていると、真っ暗な校舎から影が飛び出してくる。最初は幽霊かと思ってじっくり眺めていたけれど次第に慣れた。
彼女は毎日最終バスに駆け込む。でも持久力がないようで三回に一回くらい死にかけていた。
初めて見たのが入学早々で、秋まっただ中の今現在も変わらない。いい加減時間に余裕を持って乗ればいいっショと思ったが口には出さなかった。
何故なら彼女とはクラスメイトという以外の関わりがなく、入学して半年近く経つのに交わした会話は一言か二言程度。
それにあいつは良くも悪くも浮いていた。クラスではいつも一人で本を読んでいるし、しっかりしているかと思いきや何もない場所でコケる。言い方は悪いが典型的ないじめられやすい女の子で、オレとは何の接点もない、告白してくるはずのない子だった。
つまりこれは罰ゲームの告白ってことっショ。
気分は良くないが、彼女が悪いわけでもない。適当に断ってやればいいだろう。
……どっかにグラビアアイドルみたいに可愛くて自転車競技に熱中してデートをすっぽかしてもも怒らない女いないかね。
いるわけねえっショ。
自分で自分につっこみを入れて考えをまとめた。
「あーで、なんか用があるんショ?」
「は、はい!」
しかしモジモジして埒があかない。
気味悪がられない程度に近づいて、もう一度声をかける。だがそれより早く、勢い良く上がった頭がオレの顎にクリーンヒットした。
目のまわりを星が飛ぶ。
「痛った!! って巻島君ごめん!」
「気にすんなっショ」
よほど後頭部が痛かったのか、眼鏡の奥で瞳を潤ませオレを覗き込む。
近くで見て初めて気づいたが、意外と目が大きい。睫も長くて、少し痩せたらちょっとしたグラビアアイドルくらい可愛いかもしれないと思った。
「……巻島君?」
くちびるに吐息がかかる。
赤らんだ頬に、距離が近すぎることに気づいた。慌てて下がって、気まずい気持ちに蓋をする。鼻の下を擦りぶっきらぼうに告げた。
「そろそろ部活の時間だから用事がないならオレ行くわ……」
すると彼女は俯いていた顔を上げ、鯉みたいに口をパクパクさせる。何度も口を開いて閉じて、押し黙った。
罰ゲームとわかっているとは言え、断るほうだってしんどい。このままなし崩しになかったことにしたかった。けれどその気持ちは汲んでもらえない。
「待って!」
その声に立ち止まる。しかし彼女はオレと目を合わせないまま早口でまくし立てた。
「あ、あの! 私と付き合って下さい!!」
「オレ部活あるっショ。だから彼女とか今は無理だわ」
オレが自転車にのめり込んでいることを知っているやつは多い。こういう風に言われたと今回の罰ゲームの首謀者に伝えれば穏便に終われるだろう……たぶん。
明日から少し気まずいなと考えながら、完全に背中を向けた。
「あのっ」
けれど予想外のことが起きた。
蚊の鳴くような声量なのに不思議と耳に残る。
「今は無理ってことは、今じゃなければいいの?」
「へ? あーかもな」
何が言いたいのかわからず適当に答える。
そして今度こそ振り返らず部室へ向けて歩き出した。

その後、度々見かけた彼女のメンタルの強靱さに、罰ゲームじゃなかったかもと考える。でもあれ以来告白どころか、彼女から話しかけられることさえなかった。オレ自身レギュラーを取るために練習に没頭していったこともあり、記憶はあっという間に薄れる。
二年になってクラスが別になり、会話どころか会うことさえまれになった。
だけど二年のインターハイ前、金城と親しげに話している可愛い女子の姿に口笛を吹いたことで、心持ちが変わる。
「金城、インターハイ前に彼女かよ?」
でも結構可愛いっショ。紹介しろよ。
部室でからかい混じりに問いかけた。しかしそれは金城の呆れ声に消えて、絶句に変わる。
「去年の、とはいえクラスの学級委員のことも覚えてないのか?」
学級委員?
あいつ眼鏡とお下げどこやったんショ。
この時のオレは相当間の抜けた顔をしていたと思う。
可愛くなった彼女は、どことなくオレの一番好きなグラビアアイドルと似ていた。


NEXT





彼の好みのタイプって?


人を好きになることに理由がいるの?
顔、性格、頭、お金……。
掘り下げればあるのかもしれない。でも本当はわけなんて全部後付けだと思う。
だから私が巻島君を好きという気持ちに理由なんてない。私が彼を好きだという気持ちは私さえ知っていればいい。告白だってしなくても良かった。
でも、するって決めた。
それは彼に関する噂のせい。
巻島君は目立つのは、外見の派手さもさることながらその独特の雰囲気に原因がある。それは良くも悪くも人を惹きつけた。
彼はキラキラと輝いて、眩しい。
金城君みたいに外見と人柄であっという間にファンを増やしてしまうタイプとは違う。だが人目を惹くという意味では変わらなかった。そして人の関心は必ずしも良い結果を生むわけではない。
小学校の頃、同級生に彼の熱心な信望者がいたそうだ。彼女は巻島君のことが好きで、しかし相手にされなかった。小学生にとっては女子よりも目先の遊びや友人だったのだろう。
しかしそこで彼女は何を思ったのか、巻島君に対する嫌がらせを始めた。
筆箱を隠すことに始まり、陰口をたたき、地味な嫌がらせをする。だが巻島君は気づかなかった。
彼女は気づいて欲しかったのだろう。
嫌がらせを発展させた。当時女子のボス的立場だった彼女は、いじめられっ子の女子生徒に巻島君への告白を強要したのだ。
結果として嫌がらせの主犯の少女は転校することになる。
巻島君は、自分に対する嫌がらせはスルーしていたが、いじめの告白だと気づくや否や仲や一部男子と教師を味方につけ、あっという間にいじめ問題を解決してしまった。
けれど必要以上に騒ぎ立てることなく丸く収めた。だから彼の尽力を知らない同級生も多い。たぶんいじめられっ子に気をつかったのだろう。
それを知って以来、私は本当の意味で恋に落ちてしまった。
だから告白することを決めた。
巻島君はは不器用な優しさを持つ魅力的な人だ。でも彼自身がそれを理解していない。私が彼に釣り合うとはとても思えないが、バカみたいに自分のことを好きな人がいると知ってもらいたかった。
自己顕示欲だろうか? 自室の勉強机の前で参考書にアンダーラインを引きながら考える。
そうして私は失恋した。
でも後悔はしない。初めての恋にちゃんと向き合った。だから諦めない。
けれど翌日から目が合わせられなくなってしまう。平気だと思っていたのに、ダメだった。恥ずかしい。こんなことを従兄弟に言ったら、お前にも乙女心があったのかと驚かれてしまいそうだ。
それ故巻島君との距離は縮まらない。
縮めるつもりはないというのは言い訳だろうか。だって部活の邪魔をしたくない、嫌われたくない。好かれなくてもいいけど嫌われるのは嫌だ。
それに私は彼にふさわしくない。自分が地味でぽっちゃりしていてあまり可愛くない自覚はある。少女漫画だと、眼鏡を外して服装を変えるだけで美少女になるけれど、現実にそんな夢物語はなかった。
しかしおしゃれ、しかも男子受けする服装って何だろう? 小一時間机の前で悩んだけれどわからない。
そこで従兄弟に電話で相談することにした。すると彼は、「ほんまか?」と私の初恋に驚き、様々なアドバイスをくれた。要約すると、相手の好みを調べてみたら? あとお前は可愛く着飾れば絶対可愛いから大丈夫やという親類の欲目な言葉を頂いた。
巻島君のタイプ?
先生から頼まれた教材を両手に抱えて廊下を歩く。
眉根を寄せて考えた。
巻島君の好み、巻島君の好み……?
くちびる尖らせて考えながら、廊下の角を曲がろうとした瞬間、ダンプにはねられた。いやダンプじゃない、金城君だ。
「すまない、大丈夫か!?」
手をさしのべて立ち上がらせてくれる。でも大したことはない。
頷いて手を貸してくれたことにお礼を言った。次いで廊下にまき散らしてしまった教材を拾おうとかがんだら制止される。彼は申し訳なさそうに拾い集め、一番軽い教材だけ渡してくれた。
「金城君?」
両手を広げてここに乗せて、と動作で示す。だが眉をへの時に曲げた。
「オレが持とう」
職員室まで並んで歩いた。
それ以来会話をするようになり、彼の趣味が裁縫と知って意気投合する。実はうちの母の趣味がパッチワークで、私もそこそこできるのだ。
誕生日に彼の異名にちなんでヘビのアップリケをあげたらとても喜んでいた。ついでに、と前置きをして他の部員さん用のアップリケを渡す。中にさりげなく緑色の蜘蛛もいれておいた。それがどうなったのかわからないけれど、一度でも使ってもらえたら嬉しいなと思う。
それにしても巻島君の好みのタイプってどんな女の子……。金城君に聞けば教えてくれるかもしれないけれど、恥ずかしい上に利用しているみたいだからやりたくない。
考えた末、得意の聞き耳で情報収集をすることにした。
「やっぱりこの子が一番可愛いっショ」
教科書を読むフリをして盗み聞きすること一週間。そんな声が耳に入った。ちらりと視線を向ければ机の下からはみ出すグラビア雑誌。
……そんなもの学校に持ってこないで欲しい。呆れながらも雑誌名を確認した。
かくしてコンビニで同じ雑誌を探す。すると胸元も露わな巨乳のお姉さんがセクシーポーズを決めていた。
「……ハードル高い」
ぽつりと呟き、周囲に知り合いの姿がないか確かめる。次いで深呼吸をして、ファッション雑誌を二冊抜き取った。そして冊子の間にグラビア雑誌を挟む。お会計の際何か言われたらどうしようかとドキドキしたけど、特に何もなかった。
でも恥ずかしい。
顔を伏せ、挙動不審のまま家に帰り部屋に駆け込む。鍵がかかっているのを何度も確認してから雑誌を開いた。

勢いよく枕に顔を埋め、頭を抱える。
白い何かがぼんぼんぼよよーん。
巨乳怖い。しかも可愛い上にウエストはくびれている。
神様は不公平だ。
手足を振り回し布団を殴った。
「ハードル……高いっ!」
コンビニでとは別の意味で同じ言葉を呟いた。
ベッドから起き上がり、自分の二の腕を掴み駄肉の柔らかさにため息をついた。次いで携帯に手を伸ばす。五回目のコールで従兄弟の声が聞こえた。
「あ、光太郎? 相談があるの。……そう、その件。実はね」

しばし迷った後、グラビアアイドルみたいになるにはどうしたらいいと思う? と問いかける。すると彼は絶句した後、耳が痛くなるほど大きな声で叫んだ。

「誰や!? 誰に騙された!? グラビアなんて絶対あかん。やめとき」

誤解だ。
弁解して、アドバイスを頼む。携帯ごしに拝むと、深いため息の後微笑む気配がした。
二人で話し合った結果、黒縁眼鏡をやめてコンタクトにしてみるという結果に。
さっそく翌日、眼科へ行った。確かに雰囲気は変わったけれど、可愛いか? と聞かれたら首を捻らざる終えない。
鏡の前に座り、おさげをほどいてもっさりとした毛先をいじった。ファッション雑誌に目をやり、髪型かなぁと呟く。従兄弟に聞いたら、「オレは髪が長い方が好みやな」と言われたので生返事をする。そうしたら聞いてへんな。と怒られた。
でもおしゃれな美容院なんてわからない私の為にネットで調べて教えてくれる。感謝して、美容院へ。あまりのおしゃれさに店の前で震えていたら、美容師さんが輝くような笑顔で扉を開けてくれた。
その頃からクラスメイトに雰囲気変わったね、と言われ始める。でも巻島君は私に気づかない。やっぱりこれくらいじゃダメなんだと気合いを入れ直した。
人気のない図書館で勉強の合間に、次の作戦を考える。
ボンキュッボン、ボンキュッボン。
次はダイエットだ!
夕飯を食べながら呟いていたらお母さんに熱があるの? と心配された。
従兄弟からは、ほなお前もロードやるか? と聞かれたが、断った。だって高いんだもん。その時目に入ったのが、雑誌のコラム。ランニングはダイエットにいいらしい。お金もさほどかからない。
夜は勉強があるので、早く起きて走ることにした。

玄関を出て朝の空気を吸い込む。ぴりりと冷たい空気が気持ち良い。キャップを目深に被って顔を隠し、軽くストレッチをしてから走り出す。
だけど普段の運動不足が祟って、あっという間に息が苦しくなった。
ガードレールにもたれて立ち止まる。
無理かも、と早速くじけそうになった。
肩で息をしながらぼんやり車道を眺める。早朝のせいか車通りは少ない。だから遠くから近づく自転車の一団にすぐ気づいた。
「……あ」
何故彼の姿だけ輝いて見えるのか。
けれど彼は山登りが得意なクライマー。平地は遅い。
ロードバイクの集団。それは緑色の残像を残しあっという間に通り過ぎた。
巻島君は集団の一番後を苦しげに走っている。その姿に勇気づけられた。
「……私も頑張ろう」
再び走り出す。
時々巻島君とすれ違えることを励みに頑張った。
食事もお母さんと相談してバランス良く、野菜多め。お菓子は食べない。
続けることしばらく。自分でも驚くほど痩せた。髪と肌の手入れも始めた。すると男子からの目が変わる。
現金だなぁと呆れつつも、期待を込めて巻島君を見た。でも気づいてすらもらえない。
やはりおっぱいか。
おっぱいが足りないのか!?
すり切れそうなグラビア雑誌を睨んだ。そこには巨大なふたつの脂肪の塊がある。
自分の胸の前でスカスカと手をふり、ため息をついた。
NEXT





恋のライバル?


二年生に進級した。
巻島君とクラスが別々になって落ち込んだけど、自分磨きに力を入れることで気持ちを落ち着ける。すると男子から遊びに誘われる事が増えた。
周りの女子の目が面倒。巻島君以外興味がないのに。
従兄弟に相談したら、しばらく考えた後写メを送れと言われた。自撮りを送信すると速攻で電話が来た。曰くお前は自分で思ってるより抜けてるから、変なやつの誘いは断れ、あと女子には他校に好きなやつがいるから興味ないとでも言っておけというアドバイスを受けた。すごい剣幕だったから頷いたけど、納得いかない。私のどこが抜けているというのか。従兄弟は心配性で困る。

それはそうと、奥秩父にやって来た。
目深に帽子を被り、髪型も変える。
今日は巻島君が出場する奥秩父ヒルクライム大会だ。金城君が教えてくれたけど、もしかして私の気持ちがバレているのだろうか……? 見つからないように変装してきたから大丈夫かな。
電車を乗り継ぎ会場の最寄り駅へ向かう。小説を二冊持ってきたけど行きの電車だけで一冊読み切ってしまった。
駅から会場へ向かい、人並みを縫ってスタート地点を探す。想像以上の人出に気押されてしまった。さらに人混みから聞こえてくる『山神』という歓声を不思議に思い探してみたけれど、人が多すぎてわからない。
がんばってスタート地点の観戦場所後方を陣取る。
そうして大会が始まった。
目前をロードレーサーが走り出す。
ぴょんぴょんと跳ねて緑の影を探す。しかし巻島くんの姿は見つけられなかった。
選手を全員見送り、肩を落とす。でもまだゴールがあると気を取りなおした。
その時、背後から声を掛けられる。
「あなたも東堂さまの応援!?」
「とうどう?」
振り向くと二人組女の子が頬を上気させ楽し気にこちらを見ていた。首をかしげてキャピキャピ声を迎える。
「ほら、違うかもって言ったじゃん」
「だって同い年くらいだからてっきりそうだと思ったんだもん!」
二人は手作りと思しき『東堂さま』『山神』と書かれたうちわを持っている。
さっき聞こえた山神ってこの東堂さんって人のことなのかな? 華やかな雰囲気の可愛い女の子達に対し、口ごもりながら答えた。
「えっと、私は学校の……同級生の応援に」
「彼氏!?」
「きゃー! 誰誰!?」
否定する間もなく盛り上がる二人。女子のノリに慣れていない私はそれだけで圧倒されてしまった。しかしなんだかんだで二人から同世代の応援仲間と認識されたらしく、観戦の穴場スポットにまで連れて行ってくれる。
そこは山の斜面中腹だった。
急斜面を自転車と身体を左右に揺らしながら走る彼の姿は、頂上の蜘蛛男の異名にふさわしく思わず見とれてしまう。
さらに東堂ファンクラブの誘導でゴールの瞬間まで見せてもらえた。ゴール直前まで一位だったのは黒髪にカチューシャの東堂君。しかしゴールの寸前、緑の風が吹く。
一気に追い抜き、巻島君が第一位へ駆け上がった。
汗を滝のように流して天を仰ぐ彼。無表情だったけど、喜んでいる雰囲気が伝わってきた。
それを見たら、真っ暗な裏門坂を登る姿を思い出して泣いてしまう。
「東堂さまは残念だったけど、彼氏君が優勝してよかったね」
背中を撫でてくれる二人に、感謝して頷いた。
後日聞いた話だと、巻島君はこの大会で東堂君と仲が良くなったそうだ。携帯番号を交換した東堂ファンクラブの二人が教えてくれた。後の大会で増えていくファンクラブメンバーを紹介してもらったけど、皆良い子であまり良いイメージがなかった『ファンクラブ』のイメージを覆された。
しかしこの時うっかり頷いてしまったせいで、何度彼氏じゃないと説明しても聞き入れてくれず、どういう経緯か東堂君本人にまで伝わってしまい、誤解を解くのが大変だった。
さらに大会に足を運んでいるうちに、どうしてか東堂君とメル友になっていた。最近は二日に一回巻ちゃん情報が入ってくる。代わりに学校の巻島君情報を教えてくれ! と満面の笑顔で頼まれて困った。
でも受信したレース後の巻島くん写メがあまりに格好良くて、定期入れに挟む。しかし代わりに送る物が思いつかず、巻島君の机を写メしてみた。怒られたらどうしようとビクビクしていたが、予想に反してとても喜ばれ複雑な気分になる。
東堂君、まさか私のライバルなの?
奥秩父で出会った東堂ファンクラブの二人とも交友関係は続いている。
その報告をしたら、従兄弟は私に女友達ができたことに対して万歳三唱した。思わずお母さんか! と突っ込んだらオレは男やと真顔で返された。


NEXT





感情にをして


東堂と約束をした。
──次のインターハイで勝負をつける。
パンクした自転車を回収車に積み込み、雨が打ち付ける道路を眺めていた。強く拳を握りしめても、結果は変わらない。
ゴールまであと一キロ。
自分の足で、自分のロードレーサーでたどり着きたかった。
湿った髪の毛をかきあげ、気を紛らわせるために景色に視線を向ける。
そうして動き出した回収車の中。
流れる風景。
不意に彼女が映った。
選手が通り過ぎ人影まばらな路傍で、アイスグリーンの傘を差し、びっしょりと濡れたジーパンが足に張り付くのも構わず佇んでいる。
車が真横を通り過ぎる瞬間傘が目線より高くあがり、雨の中帽子にサングラスという珍妙な格好が露わになった。
車内と車外、オレは逃げるように顔を逸らす。
それが誰かなんて考えるまでもない。
──何より早く彼女の前を通り過ぎたかった。
痛いほど拳を握りしめる。濡れた髪が肌に張りつくうっとうしさに眉を顰めた。

帰る準備をしていると、つい先ほどまで表彰台の上にいたはずの東堂に話しかけられる。こいつはむやみやたらと輝く瞳で言った。
「巻ちゃん、約束だからな!」
「……了解だ」
「夏のインターハイだぞ!」
「……ああ、うん」
「楽しみだな!」
「……」
東堂は十回ほどテンション高く同じ話をすると、急に真顔になった。
「それにしても彼女は大丈夫だったか? 可哀相にかなり雨に濡れていただろう。着替えの準備はしているのか?」
「彼女って誰っショ?」
「もちろん巻ちゃんの彼女に決まってるだろう」
「……オレに彼女なんていねェよ」
すると、世にも珍妙な表情になった。次いで頭を抱えて唸り出す。
「それは本人からも否定されてるが、オレにはどうしても納得がいかないのだよ。何故巻ちゃんはあんなにも可愛く健気な女子に好意を寄せられていながら無視できるのだ?」
「無視なんてしてねェよ」
「してるだろう」
言葉につまる。
しかしボソっと呟くと複雑な顔をした。
「オレとお前は違うっショ」
「それはそうかもしれんが」
雨上がりの空を見上げる。
応援には気づいていた。
あいつはいつも東堂ファンの女子と一緒にいて、変装のつもりなのか帽子とサングラスをしている。けれど女子の集団に紛れていてもなお不思議と目に付く。
最初は見間違いだと思っていた。次に東堂のファンなのかと首を傾げる。
だけどまっすぐオレを見つめる瞳が、否定する。
「黙って見てるだけとか、ストーカーみたいなもんショ」
「何を言ってるんだ巻ちゃん、あんな可愛い子に!?」
「顔の問題じゃないっショ」
すると東堂はなんとも言えない表情になり、手持ちぶさたそうにカチューシャを付け直した。
「いい子なんだがな」
「どうしてそこまであいつの事を勧めてくるんだ? 学校も違うし、せいぜいレースの後に話したことがあるくらいだろ」
問いかける。しかし意外な返事に固まった。

「メル友だからな!」
「は?」
途端に胸の奥にモヤモヤとした黒い感情がわき上がる。
オレには告白以来ほとんど話しかけてこないくせに、なんで東堂とメアドの交換してんだよ。身勝手すぎとわかっていながら止まらない。
彼女の笑顔が浮かんでは消えた。
頭を振って、黒い気持ちに蓋をする。
これが恋愛感情なのかわからない。もう少し早く自分の気持ちに気づいていれば、確かめるくらいはしただろう。ケド、
「付き合った途端留学とかありえないっショ」
「ん?」
「なんでもない」
ままならないものだな。
インターハイは晴れるといいなと呟いたら全力で同意された。




NEXT





そんなハッピーエンド


灼熱のインターハイが終わった。
吹き出す汗を拭うのも忘れ、応援に声を張り上げた三日間が終わり、日常が帰ってくる。今でも目を閉じれば、大会の喧噪が聞こえてくるような気がした。
小野田くんのゴール、総北の総合優勝、全員で登ることの出来た優勝台。そして──巻島君の涙。
鼻先がつーんとして、慌てて目頭を拭った。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、目前の問題集に取りかかる。
自転車競技部のインターハイが終わった。
私達三年生にとっては最後の大会。しかし夏は受験の天王山。本当は観戦をしている場合ではなかった。だけどどうしても行きたくて、我が儘を言った。それをお母さんが許してくれたのは、従兄弟の応援に行くという大義名分のおかげ。京都からやってくる同年の従兄弟の為と言えば通りやすかった。
当人に言い訳に使ったことを謝ったら苦笑しながらも頭をポンポンと撫でてくれる。光太郎は優しい。どうして彼女ができないんだろうね? と聞いたらはたかれた。
私は総北を一番に応援している。でも来年は京伏見にもがんばって欲しい、なんてどっちつかずなことを考えてしまった。
気合いを入れ直すために一度伸びをして、参考書と向かい合う。
図書室の静かな空気を吸い込んで、
「あ」
むせた。
図書室の扉が開く。ハンカチを口に当てて咳きこんでいると、細長い影が近づいてきて小声で心配してくれた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
声がうわずらないようにするのが精一杯だった。
だって彼の声が、心臓が飛び出しそうになるその姿が、巻島祐介が目前にいたのだから。
「ま、巻島君?」
「なんだ?」
涙目で見つめると、勢いよく逸らされた。
私もすぐに恥ずかしくなって地面を見つめる。
だって巻島君がいる。
息が苦しくて、胸が痛くて、手が震えた。
彼は鼻の下を擦る。
「あー……勉強?」
「うん、巻島君も受験勉強?」
「……まあ、そんなもんショ」
「インターハイが終わったばかりなのに、偉いね」
口に出した後、自分の間違いに気づいた。彼は私がインターハイの応援に行っていたことを知らない。総合優勝の事実は二学期になれば全校生徒の知るところになるだろうけれど、今知っているのはおかしい。
私は視線を彷徨わせた後、「えっと、新聞部の子に自転車競技部が総合優勝したって……聞いた……から……そのおめでとうございます」と言い訳をした。
しかし途中で巻島君と話したのが告白と挨拶以外で初めてだったと気づく。
今の私はあの時の比ではないくらい彼が好きで、冷静なフリをしているけれど全然違っていて。それが目の前に立っている。
混乱の極みに立たされた私は、何故か椅子に座り直し参考書で顔を隠した。
すると吹き出された。
「プッ」
「笑うなんて酷い!」
不用意な叫び声は静かな図書室に響き渡り、他の生徒のひんしゅくを買う。真っ赤になって背中を丸めた。
「あ……う」
顔が熱い。
恥ずかしい。
しかし彼は、「じゃあな」と言って奥の席に行ってしまう。
──行かないで。
そう言えたら良かったのに。
緑の髪が角を折れ曲がり見えなくなる。仲良くなれるかもしれないチャンスをフイにしてしまった。私は図書室に毎日の様に勉強をしに来ているけど、巻島君は違うだろう。
落ち込んだ。
夏休み明けに決意していた二度目の告白をする自信がなくなってきた。でも総合優勝で、絶対部員の女子人気が上がるだろう。それにあの時、「部活があるから付き合えない」と言われた。だから邪魔したらいけないと思ってひたすらに見つめていたけど、そろそろいいかなって思う。思うけど……。
二度目の告白は一度目より精神的なハードルが高い。
けれど、事態は意外な方向へ転がった。
巻島君が図書館に通ってくる。難しい顔をして先生のところへ向かう姿も見られた。
少し違和感がある。でも毎日会えることが嬉しくて、浮かれてしまった。初日こそ最初の会話以外緊張してできなかったけど、ちょっとずつ話しかけてある程度会話できるまでになった。
これなら告白できるかも。
二学期に入って、総合優勝に釣られた女共がわき出す前に告白してしまおう。でも出来なかった。
「え?」
巻島君が新学期を前に、イギリスに留学する。仲の良い教師の言葉に固まった。驚きに目を見開いていると先生は頭を掻きながら、口が滑ったという顔をした。

呆然と床を見つめた。
夏休み明け、イギリスの大学入学時期に合わせて学校からいなくなってしまう。
単位を前倒しで終わらせるために図書室に籠もっていた。
墨汁を流し込んだような暗さが心を重く押し付ける。巻島君が行ってしまう。
いなくなる。
私の事なんて綺麗さっぱり忘れて。
「……そんなのってない」
私の三年間はなんだったの。
八つ当たりだってわかってる。部活があるからなんてただの断り文句だって気づいてた。でも彼の好みの女の子になれたら、もしかしたらって思ってた。
だってどうしようもなく巻島君だけが好き。だから好きになって欲しかった。
真っ暗な部屋のベッドの上で体育座りをして考え込んだ。
抱きしめた枕が涙で濡れて、死にたくなる。
彼は明日、日本を発つ。
もっと早く知ることができたら何かできたのかな。しかし留学することを教えてもらうことさえできない関係で、何を言えたのか。暗澹とした気持ちに黒く塗りつぶされた。
その時、携帯電話が光る。着信を見ると、『石垣光太郎』という従兄弟の名前が光っていて、なんてタイミングでかけてくるのと悪態をついた。
「もうやだ……」
通話ボタンを押した途端泣き出した私に、焦った声が慰めてくれる。
涙が止まらなくて、嗚咽を抑えられなくて。支離滅裂に話す私に相づちを打ってくれた。ひとしきり吐き出すと、少し落ち着く。
涙を拭って、彼の言葉を待った。
「それでも我慢や」
我慢しても、二度と会えないだけじゃないと文句を言うと笑われた。
「でも好きなやろ? だったら諦めるな、まだ全部やりきってはいないはずや」
その言葉に、涙が止まった。
「でも、迷惑じゃないかな」
すると今度は大声で笑われた。次いで可愛い女の子に告白されて嫌な気がするわけない、と恥ずかしいことを言ってくる。
気持ち悪いと返事をしたら、爆笑された。
そうしてとりとめのない話をしていたら、もう一度がんばってみようと思えた。
「……ありがとう」
携帯を切って、目の上を冷やす物を探すために部屋を出る。
明日、巻島君を仕留めるために!


***

なんて気合いを入れてきたけど、飛行場で迷ってしまった。恥を捨てて金城君に電話をし、発着便を聞いたけど一向にたどり着けない。カウンターに駆け込み、便の場所を聞いた。
時間に余裕を持って出てきたのにこれでは間に合わないかもしれない。
出国手続きが済んでしまったらもう会えない。
自分のうかつさを呪いながら走った。
通り過ぎる人達が驚いた顔で振り返るけど、気にしていられない。
息が苦しい。
泣きそうなくらい悲しい。
焦りで今にも倒れてしまいそうになる。
だけど倒れる寸前、視界に緑の影が映った。
「巻島君、待って!!」
叫び声に周囲の人達が振り返る。空港職員が困った顔をした。
でも止まれない。
「まっ……ゲホッ」
「飲み物持ってるか?」
体力の限界の到来に座り込んで肩で息をしていると、キャリーケースが転がる音が近づいた。首を横に振ると、ペットボトルが差し出される。一気に飲み干すと笑う気配が降り注いだ。
「ごめん、ほとんど飲んじゃった」
「クハッ、どうせ途中で捨てなきゃいけなかったから構わないっショ」
見上げた彼はやっぱりかっこよくて、大好きだって思った。
ここが空港だってわかっていたし、搭乗時間があるのも理解していた。
けれど立ち上がって、真っ直ぐ見つめる。
「私、巻島君のことが好き」
するとペットボトルを受け取った体勢のまま硬直する。
次いで眉尻を下げ、悲しそうに微笑んだ。
「ありがとな。でもオレはこれからイギリスの大学に行くっショ。だから無理だ。ごめん」
「そんなの言い訳になってない!」
彼の大きな手の平を両手で掴んで、想いを込めて握りしめた。
「前は部活で今回は留学、そんなの言い訳になってない。私もう待たない! 巻島君のことずっと好きで大好きだった。諦められないの。私はあなたの走ってる姿が好き。負けて悔しそうに俯く姿も好き、一番にゴールして天を仰ぐ姿が好き。真面目に授業を受けてる姿が好き。本当は優しいのに冷たくするところも好き。あなただけがずっと好き!! だから私諦めないって決めたの。イギリスだって世界の裏だって追いかける。今は無理だけど卒業したらすぐに追いかける! 覚悟してよね!」
一息で言い切ると、唖然とした表情が迎える。
急激に羞恥が沸いてきて、握りしめていた手を離した。すると逆に掴み返され、指先に口づけられる。
「ひゃっ!?」
逃げようと腕をひっぱると、逆に抱きしめられた。
全身が巻島君の匂いに包まれる。
「どこまでも追いかけて来るとか世界をまたにかけたストーカーっショ」
「あ……う」
口ごもると、抱きしめられたまま頭を撫でられた。
次いで一呼吸間があって、口を開く。
「そこまで言うならオレも言わせてもらうっショ。レース、毎回見に来てくれてありがとな。ずっとオレのことを見てくれて、嬉しかった。でもおさげと眼鏡どこやったっショ? 告白したあとに可愛くなるとか反則だろ……。でもあんたが実は可愛いって気づいたのはオレが最初っショ。で、本当に追いかけてきてくれるのか?」
「ふぇ?」
混乱のあまり変な返答をしてしまう。
だけどすぐに気を取りなおして、ビシっと言い切った。でも顔はやかんのように真っ赤かもしれない。
「私の成績なら奨学金なんて余裕なんだから! お母さんとお父さんを説得してイギリス留学をもぎ取ってみせる」
すると身体が離れ、柔らかい髪が頬をくすぐる。不意に彼の顔が近づいてきた。
それに反応する間もなく、耳朶を甘い声音がくすぐる。
「じゃあ待ってるっショ。……オレもお前が好きだから」
目前いっぱいに彼の顔が近づき、そして──飛行機の飛び立つ音がした。






end


Top

あとがき

最後までご覧頂きありがとうございました!
急激に高まった弱虫ペダル熱のせいで書いてしまいました巻島夢。巻ちゃんかっこいいですよね!でも私が惚れた!と思ったのは空港のシーンです(遅い)
なので、ラストシーンはここにしようと最初から決めてました。
石垣君が従兄弟なのは途中で思いついた設定だったりするのですが、最終話においては最大のキーパーソンになってくれました。彼はいい男だと思います。ちなみにこのいとこ仲良しですが恋愛感情はお互いに欠片もありません。兄と妹のようであり姉の弟のようでもありな関係なんじゃないかなと。
番外編でイギリス行って巻ちゃんの家に居候するお話とか。巻ちゃんが石垣君にヤキモチ焼く話とか御堂筋君と仲良くなる話とか書けたら書きたいです。
最後までありがとうございました!一言なりともご感想いただければ励みになります。
Top




毛布に顔を埋める

誤解されがちだけど、オレは巨乳派ではない。貧乳好きかと聞かれると首を捻らざるおえないが小さいとか大きいという理由で女を好きになったことはない。
飛行機のビジネスクラスで、グラビア雑誌を眺めながら伸びをした。こういうもんを読んでるから誤解されるのだとわかっているけど、手っ取り早い暇つぶしなので止めるのも惜しい。
まあ、小野田みたいにのめり込むほど好きってわけじゃないけどな。
鈴なりに揺れる蜘蛛のキーホルダーを眺め口角を上げた。
同時に空港での出来事を回想する。
出国手続き直前、これでしばらく日本ともお別れだなとらしくない感傷に浸っていると彼女の絶叫が聞こえた。振り向けば細い四肢を地面に投げ出して肩で息をする同級生の姿が映る。
周囲の注目が集まるのを感じたけど、全てがどうでも良くなるほどオレの目は彼女に釘付けだった。だって、日本に最後に残した感傷が自ら飛び込んできた。これを驚かずに何に対して驚けばいい。
同時に憂鬱な気分になる。来てくれて嬉しい、でもその好意を断らなければいけない自分が疎ましい。しかしそれは彼女の勇気に打ち砕かれた。
白い首筋が真っ赤に染まる。

「私、巻島君のことが好き」

そして焦げ茶の瞳が射貫くように見つめた。
胸の中心にズドンと刺さる。けれどダメだ。こんなにいい女だからこそ、縛れない。
断り文句を告げると、反論された。
しかもはっきりと断った直後だと言うのに、オレの好きな所を山のようにあげてくる。しかも世界を股にかけたストーカー発言をされてしまった。
なんかもうダメだと思った。遠距離恋愛なんて辛い思いをさせるだけだとか、理性とか全部が、彼女の手の平から伝わる熱に溶ける。
気づけば指先をとってキスを落としていた。

「クハッ」
「どうかいたしましたか?」

堪えきれずに漏らした笑い声にキャビンアテンダントが話しかけてくる。気恥ずかしさに頬をかきながら、なんでもないと伝えた。
雑誌で顔を隠す。
それもこれもあいつが悪い。
はずっとオレを見てきたと言っていたケド、オレだってあいつをずっと見てきた。
雨の日も嵐の日ですら試合を見に来てくれる可愛い同級生。しかも日に日にオレ好みになっていく。男としてこれが気にならなかったらどうにかしてるっショ。雨でシャツが少し透けてた時なんて、目が離せずコースアウトしかけた。
雨の日は白いシャツを着るなとメールしておこう。
さらにあいつのせいで一番好きだったグラビアアイドルの写真集が見られなくなった。水着姿でポーズをとっている姿とがダブって見えて、穢している気分になるからだ。
これからは思う存分グラビアアイドルの写真を見てもいいわけだけど、

「……逆にツライっショ」

両思いの彼女なのに次に会えるのは早くて冬。でもその頃は受験勉強も佳境の時期だ。会いに行ったところでどの程度一緒に過ごせるかわからない。
つまり来年の四月までお預けということだ。
返す返すも、空港でキス出来なかったのが悔しい。
あと少しだった。
耳元で囁いて、告白して、腰をめいいっぱい屈めて。
数センチでくちびるとくちびるがくっつくと思った瞬間、

「にゃああああ!?」

叫び声が空港に響いて、手の平で塞がれる。
は真っ赤な顔で壊れた人形みたいに首を横に振っていた。
純粋な反応は、他の男の存在を感じないという意味では嬉しいがこれではキスできないなだめすかしている間にも搭乗の時間は迫り、別れの時が来てしまった。

「電話するね」
「オレからもするっショ」

頭を撫でて、もう一度抱きしめる。
シャンプーの匂いがした。泣くのを必死で我慢している表情が可愛くて愛しくて、荷物として詰めて持っていったらダメかと真剣に考えた。
……しないケド。

「じゃあな」
「うん」

何回も振り向きながらオレたちは別れた。
しかし、

「こんなことなら図書室で手を出しておけば良かったっショ」

邪な思いに捕らわれながら、グラビア雑誌を閉じた。
窓の外、日本が離れていく。

「早く来いよ……」

囁いて、毛布に顔を埋めた。

NEXT

ヤキモチの話


どーだ巻ちゃん元気かい、ちゃんと食事は取っているか?

そんな定番の文言と共に始まったメールを苦笑しながら読む。
東堂からの定期的な電話連絡は、イギリスに来て以来メールに変わった。長々とした文面に、マメなヤツと呟く。だが、

食事といえば、先日千葉に出かけた際、ケーキを食べたよ。巻ちゃんも知ってる店かな?

添付ファイルに気づき、開く。
すると、

「ハァ!?」

そこに映っていたのはデコレーションたっぷりのケーキ。
だけではない。

「……どーして二人で仲良くケーキ食べてるんショ!?」

オレの彼女が映っていた。
しかもちょうどフォークをぱくりと口にくわえ、急に写真を撮られたことに驚いた顔をしている。
可愛いっショ!!
ずるいっショ!!
どーしてお前が二人でケーキ食べてんだよ!! オレもしたことないのに!
写真を保存し、震える手でメールを読み込む。
しかしそこには彼女とケーキを食べた理由は書いていなかった。
それを速攻で消去し、問い詰めたい気持ちを堪えて、彼女にメールを送る。
その日は一日中イライラして、授業に実が入らなかった。しかし家に帰ると、「電話できるよ。頑張って早く起きるね!」と返信が来ていて、口元が緩んだ。
約束の時間をソワソワと待ち、スカイプを立ち上げる。
数分待つと彼女のアイコンがログインした。
コール音が鳴り、ビデオ電話が繋がる。

「も、もしもし?」

真っ白い肌が朱色に染まる。
日本は早朝だと言うのに、ワンピースにカーディガンという可愛い格好をしていた。
返事をせずに見つめていると、彼女は前のめりにカメラに近づく。

「あれ? 聞こえないのかな」

細い指先を伸ばして、カメラの位置を調整した。
その時、ソレが映った。
ワンピースの隙間から覗く鎖骨。その向こうに見えるささやかなふたつの膨らみ。
もちろん全部見えたわけではない。
だけど前のめりになった瞬間、確かにピンクの……、

「聞こえてる! 聞こえてるっショ!!」
「あ、ホント? 良かった」

ほっとした笑みを浮かべて椅子に座り直す。
オレは急激に高鳴り始めた心臓を鎮めるために深呼吸をした。
すると、巻島君顔赤いね。風邪? と心配されてしまう。眉根をぎゅっと寄せる表情は可愛らしいが、焦った。
誤魔化すために近況を報告しあって、思い出したかのように東堂の話を振る。

「……ってメールが東堂から来たっショ」

するとみるみるうちに、顔が真っ赤になる。

「東堂君そんなメール送ったの!?」
「ああ……まあな」

小さい男だと思われたくなくて、気にしていないフリを装う。

「……もう。恥ずかしい」
「いや写真は可愛かったケド」
「か、可愛い!? そんなこと言っても何も出ないんだからね」

耳まで赤くなって、プルプルした。

「……いますぐ日本に帰りたい」
「え、何?」
「なんでもないっショ」

その後東堂と喫茶店に行った詳細を聞いた。
次に帰国した暁にはあいつを殺ろうと思う。
けれど、

「あのね、巻島君ともいつか……あの、駄目だったらいいんだけど。でも……一緒にケーキ食べたいな。どうかな?」

のデレに免じてデコピンで済ませようと決めた。

Top

手を繋ぐ



クラシックの音色とほどよい喧噪が混ざる。
机の上では珈琲が湯気をたて、座り心地が良い椅子が身体を受け止めていた。
正面に座る男から言われた言葉が信じられず瞬きを繰り返す。苦い珈琲を飲んで気持ちを落ち着け、彼を見上げた。

「えっと、東堂君もう一度言ってもらえる?」
「ワハハハ、聞こえなかったのか?」
「え、うん。ごめん」

構わない! 彼は前髪を払い胸を張った。
学生が入るには少々敷居が高い喫茶店にも彼は馴染んでいる。
それはそれとして、今は話の内容が大事だ。

「つまり、君と巻ちゃんは恋人同士なのだから恋人つなぎをするのくらい普通ではないか? オレはそう言ったのだよ」

くらりと気が遠くなる。
ギリギリで堪えてその言葉を反芻した。カップに砂糖とミルクを入れてかき混ぜる。
混乱を収めようとした。でもダメだ。
テーブルから身を乗り出し、東堂君に問いかけた。

「こここ、恋人つなぎってそういう意味だったの!?」
「今までなんだと思ってたんだ?」

確かに指摘されればその通りだ。恋人同士でするから恋人つなぎ。けれどあんな恥ずかしいことを人前で!?

「イギリスでは恋人同士で手を繋がないのか?」
「繋ぐ……けどそれは人種が違うからで……」
「どう考えてもそれは関係ないだろう」

次いで華やかな笑い声が喫茶店に響いた。
反して私は頭を抱える。まさかイギリスの友人が言ったことが本当だったなんて。前に、恋人なら朝と夜にキスするものだって言われたのを信じて赤っ恥をかいたから今回も騙そうとしてると思ったのに!! でも東堂君までそうだと言うならきっと本当だ。知らなかった……、

親密な恋人同士なら恋人つなぎでデートするのが当たり前だなんて!!
巻島君とそんなことしたことない。まさか私が一方的に彼氏だと思っていただけで実は違ったとか?
待って、さすがにそれはないよね。
最近は週に一回は頬を染め、目をそらしながらも好きだって言ってくれる。抱きしめてくれる腕の暖かさを思いだし頬が緩んだ。
えへへと笑い出しそうになるのを堪える。
でも今はそれどころじゃない。きっとまだ間に合うはずよ。

私は! 巻島君と恋人つなぎデビューをする!

決然とこぶしを握りしめると、東堂君が拍手してくれた。
その後、ポーズの決め方はこうだ! と謎の指導までしてくれる。私は人前でむやみやたらと決めポーズをする予定はないので丁重にお断りすると、東堂君の前髪に元気がなくなった。
慌てて、だけど今はすごく役に立ったよ! とフォローすると、瞬時に持ち前の明るさを取り戻し、いつもの面白い彼に戻った。
その後お会計を割り勘にしようという私と、奢ると譲らない彼の間で口論が起きた。確かにこのお店の珈琲は高い、でも払えないわけではない。お土産分って言われたけど毎回こうだと申し訳ない。そう告げると、トレードマークのカチューシャを弄びポーズを決めた。

「では巻ちゃんの寝顔の写真をくれ!」
「だが断る!」

やはり東堂君は私のライバルに違いない。

***
後編はここからです。



身体の前で両手の拳を握りしめ、彼を振り仰いだ。

「巻島ひゅん、映画見に行ひゃない?」

噛んだ。
一時間以上悩んで、どういう言葉で誘うか何回も脳内シミュレーションしてようやく言えたのに。
二人きりの部屋で、ジリジリと距離を詰めてみたり、ジャンケンしてみたり、いろいろ頑張ってみたけどうまくいかなかった。だから勇気を出していきなり噛んだ。
もうだめだ。ソファーに手をつき落ち込む。すると巻島君が、アワアワしながら覗き込んできた。

「どうしたっショ?」
「自分のバカさ加減に落ち込んでたの」

瞳が潤む。
上目づかい気味に見つめると、ピシリと固まった後挙動不審になった。
鼻の下を擦り、ぽりぽりと後頭部を掻く。
次いで私の肩に手を置いた。

「なあ……」
「はい」

一拍の間。

「映画見に行くか?」
「うん!!」

嬉しくなって何度も頷く。
すると巻島君は私の顔を凝視した後、目をそらしてため息をついた。
顔に何かついてる?
問いかけると曖昧に否定された。後でチェックしよう。

***

ということでお出かけだ!
スキップしそうな気持ちを抑えて並んで歩く。本当は家でゆっくりしているほうが好きなのだけど、今日は大事なミッションがある。
恋人つなぎデビューをするのだ!
ぐっと拳に力を入れ、決意を新たにした。
それ故に映画館に向かう道すがら手を伸ばす。巻島君は背も高いけど、手足も長い。歩くスピードは私にあわせてくれるけど手の振りが早すぎてついていけない。
また空振り。
よしもう一度!
スカッ。
スカッ。
スカッ。

「さっきから何してんだ?」

呆れ混じりの声に焦る。
誤魔化さないと。
頭をフル回転させた。そして東堂君の自信満々の言葉を思い出す。

「てへぺろ(・ω<)」

教わったとおりにぺろりと舌を出すと、巻島君が完全に静止する。私の頭はハテナマークでいっぱいだ。
東堂君の嘘つき! 効果ないじゃない。
玉虫色の髪がゆらりと揺れた。

「それ誰にやれって言われたっショ」
「東堂君」

素直に答えると盛大な舌打ちが聞こえた。
あれ?
それはそうと今は恋人つなぎの方が大事だ。でも中々上手くいかない。
映画館に着くまでの電車の中、ポップコーンを買ってもらったとき、上演中。
頑張ったのにできない。
しかもよく考えてみたら、今日は普通に手を繋ぐことさえできていない!!
恋人つなぎで関係を前進させるつもりが、むしろ後退していた!?
もう最寄り駅まで戻ってきてしまった。
しまった、時間がない。
夕暮れ色に染まる公園の前で立ち止まる。
不思議そうに振り向く顔に向け、手を差しだした。

「ま、巻島ひゅん、手、ててて手を繋がない!?」
「……え、あ……うん」

頬をぽりぽりと掻きながら、包み込んでくれた掌の温もりに頬が緩む。
じゃなかった!!

「違うの、ううん。違うってことはないんだけど。違うの」
「お前今日変だぞ。何が違うんだ?」

呆れ顔に泣きそうになる。でも言わなきゃ。ちゃんとしないと巻島君と恋人同士でいられなくなるかもしれない。そんなのヤダ。

「手をね、こうやって繋ぎたいの」

鼻をすすりながら、指を絡める形で繋ぎ直す。
次いで視線を上げると、顔を夕日と同じ色に染めた彼の姿があった。

「ダメだった?」

眉間に皺を寄せて問いかけると、勢いよく緑の髪が左右に揺れた。

「ダメなわけないっショ。つーかそんな可愛いお願いならいくらでも聞くにきまってるだろうが」
「本当?」
「当たり前っショ」
「……良かった」

緊張が緩み、自然と口角が上がる。
すると視界から夕日が消えた。
世界が緑色に包まれて、何も見えない。
くちびるに当たる柔らかい感触と彼の匂いに、目を閉じた。

「まったく、何言われるのかって身構えてたオレがバカみたいっショ」

「可愛すぎるだろうが」呟きに火が付いたように身体が熱くなった。




Top

七夕の夜

浴衣の袖口に手を入れ、挙動不審に周囲を見回す。
夜のとばりが落ちた駅前は、人の喧噪で溢れていた。
家族連れや友達、そして仲むつまじい恋人同士の姿がある。普段より浴衣姿が多いのはやはり今日が七夕祭りのせいだろうか。
彼女の浴衣姿を想像して、口角を上げた。
しかし、と改めて自分の足下を見下ろし、鼻の下を掻いた。
あいつがどうしても着て欲しいと懇願するから、母にニヤニヤされながら着付けられたケド、似合っているかは微妙だ。
袖口に手を入れたまま腕組みをし、広場の時計を見上げた。待ち合わせまであと五分。普段ならとっくについていてもおかしくない時間なのだが……。
首を捻り、もう一度周囲を見回す。その時だ、

「ごめんね待った?」

下駄が小走りに駆けてくる。
まず目に付いたのは、紺地に鮮やかな朝顔が咲く浴衣だった。赤い帯がよく映え、彼女の白い肌をますます透き通って見せる。
結い上げられた髪が普段は見えないうなじを強調し、ほっそりした四肢に和服がよく似合った。
思わず生唾を飲み込み、口元を歪めた。

「巻島君……?」

彼女は不安げに眉根をしかめて見上げてくる。大きな瞳が魅惑的に潤み、長い睫が誘うように揺れた。

「悪い、ちょっとボーとしてたっショ」
「なーんだ」

ホッした顔で笑う。
鈴を転がすような笑い声に、相好を崩した。
そうして手を繋いで歩き出す。
浴衣姿で並んで歩くのはこそばゆく、照れくさい。
けれど時折こちらを見上げて、頬を赤らめる姿が愛らしく、心臓がうるさかった。
飾り付けされた七夕祭り会場に入ると、色とりどりの短冊が迎え、祭り気分を盛り上げる。

「巻島君、ホタルだって」
「おー見ていくか?」

喜色満面に頷く姿に、襲いかかりたい気持ちをグッと堪えた。
七夕祭りの一角で行われている、ホタル庭園。楽しそうに手をひっぱる姿に、頭を撫でた。
すると耳まで真っ赤に染めて、「いきなりはヤメテ」と恥じらう。それは浴衣姿と相まってすごい破壊力をオレにもたらした。
深呼吸をして落ち着き、袖口を掴む彼女を見下ろす。

、行くぞ」
「うん!」

軽く手を引くと、花が綻ぶように微笑んだ。
そしてホタル庭園に足を踏み入れる。
木々に囲まれた水辺と、チラチラと輝くホタルの姿に息を呑んだ。

「……綺麗」

傍らで吐息をつく音が聞こえた。
繋いだ手に力が入る。
水辺に近づくと、光り輝くホタルに囲まれる。

「わぁ……」

淡い光に照らし出された彼女が天使に見えた。

「今日は一緒に来れて良かった」

上目づかいに見上げる姿に、柄にもなくときめいた。
後頭部を掻きながら、「おう」と応えると、巾着をくつろげ中から小さな箱を出した。

「お誕生日おめでとう。七夕も嬉しいけど、誕生日を一緒に過ごせたのが……嬉しかった」

両手で差し出される姿に、心臓の鼓動が最高潮に高まった。コレ身体から飛び出してくるんじゃネエの。
丁寧に受け取って、包みを開いた。
嬉しさに笑み崩れ、お礼を言うと袖を掴まれる。
怒ったような声音に、目を見開いた。

「巻島君っ」
「ん?」
「ま、巻島君……」
「どうした?」

すると彼女は大きく息を吸い込んだ後、顔を上げた。

「巻島君、格好良すぎてずるい!!」
「ハア!?」

何言ってるんだ、

「可愛いのも、ズルイのもお前っショ!?」
「違うもん、今日だって浴衣とかズルイ! すごくかっこいい」
が着て欲しいつーから、お袋にニヤニヤされながら着せてもらったんつーの。だいたいそれを言うならお前の浴衣色っぽすぎるんっショ!?」
「いろっ?」

ぱっと手を離し、顔を背け首筋まで真っ赤になる彼女。
照れくさいのを我慢して、背中を抱き寄せた。

「そんな顔、他の男には見せんなよ」

耳元に囁くと、

「あ、う……」

コクリと頷いた。
身体を屈め、肩口に顎を乗せる。
重ねられた掌の温もりを感じながら、瞬くホタルを眺めた。




Top 壁紙配布元:師匠小屋(閉鎖)