いただきもの

シグナル・レッド

幾度となく見た夢で出逢った女性。
小柄で綺麗な、同じだけど違う【彼】の恋人。
実際に出逢った彼女は、やっぱりとてもとても素敵な女性だった。


「歓迎はしますけど、一体何があって此処に来たのか分かります?」
「さあ。龍姫ちゃんにも会えたし、それが分かったらさっさと帰ってるんだけど」
「……ですよねえ」


――とはいえ問題は、結構山積みらしい。



〜シグナル・レッド 中編〜



星座占いなど特に見ていないが、恐らく今日の自分の運勢は最悪か最高かのどちらかに違いないと、今この瞬間に龍姫は確信していた。
同窓の仕事を手伝いに里帰り(?)してみれば、同窓の少年はそこで女性を咬み殺さんと追っかけ回していた。
常ならば観戦していたところだが、その追われていた女性が酷く見覚えのある容貌をしていたことでそれは打ち切りに。
思わず声をかけてみれば、まさかとは思ったがやはり想像通りの人物で。
自己紹介よりもぱっと自分の後ろに隠れるという子供じみた仕草も似合っているのは、彼女自身がきっととても輝いているからだろうと龍姫は思った。

此処とは違う世界の女性、龍姫の知る【彼】とは違う青年の恋人。
という吊前の彼女を伴って、龍姫は取り敢えずもう池袋に帰ることにした。
実家の方が近かったのだが、叔父夫婦に迷惑になるかも知れないので遠慮させて貰ったのである。


「どーぞ、あんまり綺麗じゃないけど」
「有り難う。お邪魔するね」


セキュリティ万全のマンションの扉を開ければ、黒髪の女性はにっこり笑って行儀良く靴を脱いだ。
龍姫もにっこり微笑み返して、客の分と合わせて靴を揃えてからリヴィングに上がる。


「コーヒーと紅茶と番茶と緑茶とココア、どれが良いですか?」
「んー……どれも飲めるけど、お勧めはある?」
「コーヒー豆はイタリアのマニアのお薦めです」
「じゃあそれでお願いしても良い?」
「はいっ」


白髪をふわんと揺らせた龍姫は、実に手際よくコーヒーをふたり分煎れていく。
どうやら豆から煎れているらしく、芳醇な香りが室内に広がった。
手慣れたその一連の動作をぼんやり見ていたは、ふと思いついたように口を開く。


「ねえ龍姫ちゃん、後でやり方教えて貰っても良い?」
「大丈夫ですよー。【そっち】の静雄さんにですか?」
「そんなところかな。まあ静くん、どうせブラックは飲めないんだけどね」
「子供舌なんですよね、この間ゴーヤ見て凄い嫌な顔されましたし、私」
「そうそう。ビール飲めないの、美味しいのに」
さんは飲めるんですか?」
「まあそれなりに、かな。だから静くんとはあんまり飲めないんだけどね」
「大人も大変ですねえ。……はい出来ました」










トレイに乗せたカップの一つを受け取ったが、「有り難う」と綿毛のような龍姫の髪を撫でる。
龍姫は擽ったそうにそれを甘受して、「やめてくださいよー」と少しも嫌そうでない声でを牽制した。


「それにしても不思議ですよね。
私、てっきりさんは私の妄想の産物だと思ってました」
「それは私だってそうよ。……まあ、夢にしてはリアルだなーとは思ったけど」
「ですよね。だから私もさん見てすぐに『あっ』て気付いたんですけど」
「逆だったらどうだったかな。私も気付けてたと良いね」
「気付かれなかったら寂しいですねえ」
「そうだよね。……うん、このコーヒーほんとに美味しい」
「ワオ、有り難うございますー」


にへら、と気の抜けた表情で笑う龍姫を、はまた撫でた。
何と言うか、妙に小動物じみていて庇護欲をそそる。
可愛いなあと眼を細めるを見上げて、龍姫はふと「そういえば」とあらぬ方向を見やった。


「取り敢えずさんが戻れるようになるまでは、此処使って貰って全然大丈夫ですけど……問題は誰にこんなこと相談するかですよねー。
ていうか【向こう】の静雄さんとかきっと心配してますよね、大丈夫ですか?」
「そうなんだよねー、私もそれが気になって気になって」


しれっとそんなことを口にするに、龍姫はへにゃりと苦笑した。
彼女と恋仲である【静雄】は物凄く可愛らしいレトリバーのようなタイプらしいが、龍姫の側にいる彼は生憎違う。
正直、彼女の言うストレートな静雄というのは一向に想像出来ないのだが、はやはりそうではないらしく、「静くん大丈夫かなあ」とほんの少し不安そうに呟いた。


「まあ静くん本人は大丈夫……でもないけど、池袋の街が修復上可能になってないかどうかも心配かな」
「あー……本気出したら世紀末ですもんね、きっと」


リアルに廃墟と化した東京都の都心を連想してしまった二人は、思わず同時にひくりと顔を引きつらせた。
たかが一人の人間でそんな所行が出来るものかと大概の者は笑い飛ばすだろうが、素手で自販機を投げ飛ばす人間と長く付き合っていれば、もしやという気もしてくるに決まっている。
龍姫は「んー……」と頭を捻らせ、再び「そういえば」と口を開いた。


さん、此処に来る前は何をしてたんですか?」
「え?」
「ほら、もしかしたら直前に、そういう予兆みたいなものがあったかも知れないじゃないですか」


嗚呼、それは確かに。
龍姫の言葉に促されたは、暫く「予兆ねえ……」と考え込む。
そういえば、自分はあの部屋に落ちる前何をしていただろうか。
あまりの突然の展開に驚いてすっかり忘れ去っていたが、もしかしたら龍姫の言う通りなにかあるかも知れない。
は口元に手をやって、数時間前までの自分を回想した。








「昼……えーと、そう、夕食の買い物したのは覚えてる……。
それでゴハン作って、静くんが帰るの待ってて……暇だからテレビつけて……眠くなってうつらうつらしてたような気がするんだけど……」
「転た寝してたってことですか?」
「多分……それでボーッとしてて……えーと……」


ふと、緑と青の中間のような色が、脳味噌の片隅を掠めた。
足下には黒と白の縞模様があり、妙にリアルなアスファルトの感触が思い出される。
行き交う人は自分一人で、他には誰もいない。
ぼうっとそこに立っていた自分の前で、やがてその青色がチカチカと点滅する。

拙い、と咄嗟に思った……そんな気がする。

気がつけば自分は早歩きで歩いていて、点滅していた青色が、やがて赤色に切り替わった。
そして。


「……そうだ、道路」
「え?」
「夢だと思うけど、そう、道路を渡ったのよ、私」
「道路、ですか」
「そう。普通の横断歩道だったと思うけど、丁度赤信号になるギリギリで。
私、確か何も考えずに慌てて渡ったんだよね、そしたら……」
「並高の応接室に落ちちゃった、と」
「多分ね」


暗示的ですねえ、と龍姫は頬杖を突いて明後日の方向を見た。
むー、と謎の唸り声を上げて考え混む様は、妙に愛嬌がある。
何となく猫可愛がりしたくなってぎゅーっとテーブル越しに抱き締めれば、「きゃー」とわざとらしい悲鳴を上げて付き合ってくれた。


「ふふっ、龍姫ちゃんって何か妹みたい」
「そういうさんはお姉さんみたいですね」


きゃっきゃとじゃれ合うその場所に花が飛ぶ。
コーヒーはすっかり冷めて忘れられてしまったが、彼女達に気付く様子は無い。
そのまま続けられた他愛もないじゃれ合いは、他愛もないインターホンの音一つであっさりと止められた。


「あ……」


誰だろうとモニターを覗き込んだ龍姫の動きが止まり、ちらりと上自然にを見る。
はにっこり笑顔を見せて、「気にしないで行ってきて」と手を振った。
龍姫も素直に頷いて、「好きにしてて下さいね」と言い残してぱたぱたと玄関にかけていく。


「静雄さんっ」


喜色満面で扉を開けた少女が、そのまま向こうの相手に抱きついたのが、の位置からもハッキリ見えた。

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