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凍原に咲く雪花

(どうして生まれてきてしまったのだろう)

それは悲観でも悲哀でもなく、ただの疑問だった。
さらりと流れた布ずれの音。
新月の闇色はまばたき一つせず、白い肌はなお透明に、漆のように真っ黒な髪は撫でられることはなく。
冬姫はただ生きていた。
蒼遙姫の生まれ変わりと呼ばれた羨望と、兄妹の交わりという業を背負って、今宵も悪魔が囁く。


愛しき罪の子、妾をここから出しておくれ。さすれば全て巧く行く。
さあ、妾の名を呼んでちょうだい。


それは蒼遙姫が呼ぶ声。
縹家初代当主にして、蒼玄王の妹。しかして冬姫の片割れ。
彼女の身体には生まれながらにふたつの魂が内包されていた。自らと、始祖。
少女は檻。
絶大なる異能者を閉じ込めた格子。
冬姫が是と呟いた瞬間、蒼遙姫は世界に再臨するだろう。そして、絶望する。
愛する兄の国を汚された腹立ちに、自身が与えたすべてを吹き飛ばし、彩雲国を更地と変えるだろう。
だから始祖の魂を封じた。

「……だという……無能の娘など……」「しかし当主の……では貴陽へ……」「それが良い」「これでようやく厄介払いが出来るというものだ」


しかし周囲の反応は冷たい。彼女の事情等一片たりとも考慮されなかった。だがそれで良いと思っていた。
次いで貴陽へ送られることとなる。
だがそれは冬姫にとっての僥倖だった。
出会いが彼女を変える。

「冬姫は戩華がお好きですか?」
「ええ、もちろん」
「ではあの子が大きくなったら妃になってください」
「さあ……それは彼自身が決めることではなくて?」
「そうでしょうか」
「そうですわ」

だが、運命は再び冬姫を貶める。
王、つまり戩華の父親。

「余の妾妃になれ」

王命、いやそれはただの乱暴だった。
そして突如発生した旋風のごとく、貴陽は鬼妖へ。

「妾に触れるな、兄様の血族とは名ばかりの下郎め!!」

それはのちに大業年間最大の天災と呼ばれる。
















壊れて消えるはずだった命。
それでも冬姫は自身であり続けた。

「わたくしは……?」
「よく眠る娘じゃの」

言葉と共に鳴る鎖の音。
数回まばたきをして、目前の美女にそこが薔薇の牢獄だと気づく。
彼女はため息をつき、

「……戩華……さようなら」

呟きは冷たい格子に溶けて消えた。




そして時が過ぎる。
漫然と過ごしていたわけではない。しかし……。
運命は灯火のように。兄は盲目的に愛することを選んだ。母は最後に生すことを決めた。薔薇姫は助けた。

「そしてあなたの前にいるのがわたくしという人間です。 ……この世界に本来なかったはずの異分子」

握りしめた掌にじんわりと汗がにじむ。
淡い光放つ月光が、障子を突き抜け着流し姿の彼を照らし出した。
冬姫は微動せず、彼の裁定を待つ。
こくりと鳴る喉。
彼を愛している。
だが未だ蒼遙姫の魂は眠り続けていた。それは体内に爆薬を飼っているようなもの。

『其方はこの世界のものにあらず』

母の呪詛と世界の移動と共に眠りについた始祖はしかし、消えたわけではなかった。いつか解放されるかもしれない。そうでなくとも子孫に受け継がれてしまう可能性は高かった。

離れたくない。
愛して欲しい。
でも裏切れなかった。
───彼の身じろぎする音が聞こえる。
震える肩。生まれてはじめて、怖いと思った。
目が、合せられない。
耳を塞いでしまいたかった。
しかし、

「雪子」

顔をあげると真一郎の瞳が真剣な光を帯びていた。

「でも、お前が今ここにいる事実は変わらない」

お前は、お前だ。───共に生きよう。










□□□










季節が過ぎて、

「旦那様、お待ちになって」

満開の桜が咲き誇っていた。

「お前はなんでそう足が遅いんだ?」
「仕方ありませんわ」

頬を膨らませた女に、立ち止まる男。
そして一陣の風が吹き去った。
さらさらと流れる黒髪と薄紅。

「綺麗ですね」
「ああ」

紅の花弁が魅せるように、ずっと───。








相合い傘、しましょう-end-