全てが始まった日

 それは一人、路地裏の道を歩いている時のことだった。



『見つけた……私の冬姫……』



 強烈な悪寒に振り向く。
 蜃気楼が見えるほど熱せられたコンクリートとブロック作りの民家の塀。


 ……誰も、いない。


 背中を冷たい汗が流れ落ちる。
 握り締めた扇が音を立てて震えた。
 気のせいだと呟くも、鼓動は治まらない。
 なんでもない、そう呟いた。
 しかし突如地面から突き出した白い腕が、現実を一変させた。


「ぎゃー!!」


 三流ホラー。
 あとで思えばそれくらい陳腐な光景だった。
 薄藍の着物を身に着けた腕が、地面から突き出し手招きする。
 わたしは恐怖に硬直した。
 次いで腕が伸び、視界いっぱいに広がる。
 頬撫でるヒヤリとした感触に思わず悲鳴をあげた。


「ひぃ!」


 刹那、腕が微笑む。
 顔などないのに、笑顔の気配を感じた。何故そう思ったのか。
 それはもう一度微笑み、今度は腕を掴んだ。
 氷みたいに冷たい手。
 死体の腕。
 ふいに思い、恐怖に涙が零れた。
 だが、突然扇からあふれ出した光が跳ね除ける。



『……ま……ぬ……薔薇……』



 そして全身を白い光が包み込み、声が響いた。
 全身の力が抜ける。
 落ちていく。
 意識を失う。
 それは母の胎内に還るようだと思った。










 わたしの名前は、役者だ。
 だが知名度はゼロに近い。
 所謂売れない役者というやつ。
 劇団に所属していて、一年の大半を、全国の小中学校での公演で費やしている。
 今年の演目は白雪姫とヘンゼルとグレーテル。役柄は王子様のお付の兵士とヘンゼルだった。
 暮らしは楽ではないしそりゃあ有名にはなりたいが、ひとまず演じることで食べていけるんだから文句は言えない。
 ちなみに趣味は読書とネットサーフィン。
 少々腐女子。
 特技は声マネと暗記、暗唱。
 嫌いなものは勉強。
 日常はそれなりに充実していた。
 だが運命は非情であり、意識を失い、目覚めたとき目前にあったのは見知らぬ天井。見知らぬ……しかし読み知っている人々との出会いだった。 
 これが異世界トリップか……と冷静に混乱した。
 行き先は彩雲国物語。
 彩雲国物語は好きだ。
 でも小説つくりばなしの当事者になりたかったわけではない。
 しかし運命は物語の主人公ヒロインを強要した。
 これはそんなわたしの話。