空が怖くても花が枯れても、僕は歩き続けるだろう

「……おひさしぶりです」
「おお、元気そうでなによりじゃ」


 彼女は瞳を生き生きと輝かせ、腕を大きく広げた。わたしは少しの躊躇のあと、それに飛び込む。ふわりと、薔薇の芳香がした。










「――お化け役、ですか?」


 邵可様は困り顔で頷いた。

 いつものように府庫を訪れると、邵可様に呼び止められた。話の内容から察するに、幽霊退治大作戦のお化け役に抜擢されたらしい。


(これってどんな話だったっけ?)


 エピソードの存在自体を忘れかけていたわたしには天の配剤(もしくはご都合主義?)とも言える依頼だった。
 彼の人との再会に胸が躍る。当然一も二もなく、首を縦にふった。









 仕事が終わるといそいそと準備を整え、外に出る。
 空を見上げる間もなく、わかった。
 雷雨だ。


「し、死ぬかも……」


 激しい春雷に足が竦む。
 しかし決意して、徐々に勢いを増す嵐の中へと駆け出した。走る度、腕輪形の暗器が硬い音を立てて揺れる。
 
 ――府庫はすぐそこだ。


「たのもー!」


 観音開きの扉を開き、うっかり叫んだ。


(なんでわたしこんなに堂々と入ってきてるんだろ……)


 これじゃあお化け役無理じゃん。と一人愚痴る。視界には唖然とした表情で固まる美男が二人。一目で藍楸瑛と李絳攸だと分かった。
 開き直ることに決めたわたしは、心中で舌打ちをし、顔には笑顔を浮かべる。


「……殿!?」
「藍将軍、こんばんは」


 顔見知りの将軍に向けて愛想笑いを浮かべた。
 そうしながらも肌にべっとりと張り付く着物を絞る。するとそれを見た藍将軍は自分の上着を脱ぎながら、あまーい言葉を囁いた。


「貴方のそのような艶めいた姿は目に毒です。 もちろん二人きりというのなら喜んでお相手させていただきますが」


 あまーい!
 ちょっと古いかもしれない一発ギャグを、心中で叫んだ。
 すると、


「――この常春頭! なんだこの女は!?」


「主上付き女官の殿だよ」その言葉に、李絳攸は目をカッと見開いた。


「何!? あの昏君だと!?」
「そうです。 でもわたしの大切な主を馬鹿呼ばわりしないでくださいます?」


 気持ちは分かるが、主上をわたし以外が悪く言うのは腹が立つ。
 いつのまにか、腰へとまわっていた色男の手をつねりながら、一瞥くれた。


「――ところで殿、このような時間に外朝になんの御用ですか?」


 手の甲を痛そうに摩りながらも、瞳はきらりと光る。
 さすがは藍家の切れ者。さて、どう誤摩化すか。


「……あなたに会いたくて、というのではダメ?」


 潤んだ瞳で見上げる。 
 いや、ダメだろ。自分で自分に突っ込む。しかしそんな心配も他所に藍将軍は整った顔をわずかに崩した。


「それは光栄です。 明日の夜はあなたの室を尋ねても?」
「……ええ、喜んで。 珠翠様と一緒にお待ちしていますわ」


にっこり笑顔で言い切ると、彼は肩を竦めた。


「――本当に貴方は私好みだ」
「難攻不落が好きなのね? それじゃあ掌の幸せも逃げてしまうわよ」


 余計なことだと思ったが、つい口に出してしまう。彼が叶わぬ恋に身を焦がしているのは知っているが、だからって他人を傷つけていい理由にはならない。
 わたしはかつて楸瑛×珠翠推進派だったけれど、二人がどうにもならなければそれは彼の責任だと思う。
 藍将軍の表情がわずかな驚きに彩られた。




「お前は幽霊じゃないのか!?」


 しかし見つめ合う(ガンつけ合うの方が正しいかも……)わたしたちを引き裂いたのは李絳攸の怒声だった。


「……見ての通りだと思いますが?」


 藍将軍の腕をすり抜け、歩み寄る。
 そして彼のきれいな顔をとっくり眺める。わたしが美人を見つめる癖を持っていると気づいたのはこの世界に来てからだ。美形のバーゲンセールなこの世界でない限り、早々気がつかかない癖だと思う。
 すると李絳攸は迷惑そうな顔で、一歩下がった。


「ああ、分かった。 分かったから近寄るな」
「ふーん?」


 やるなと言われるとやりたくなるのが乙女心というものだ。(多分間違っている)腰の引けている李絳攸の頬を冷えた手で押しつぶす。 


「な!? やめろ!」
「この女呼ばわりしたことを謝ったら、離してあげてもいいですよ」


 にやりと笑う。


 さらにからかいの言葉を紡ごうとした、そのとき。
 ひときわ大きな閃光が府庫を照らし出したかと思うと、凄まじい落雷音がびりびりと耳を打った。
 破裂音と共に扉が弾け飛ぶように次々開いていく。
 風と雨粒が叩き付けるように室内へ吹き込み、思わず目を閉じた瞬間。


「おお、驚いた」


 望郷の念を煽る声に、呟く。


「……薔薇姫……」


 しかしその声は李絳攸の胸に抱き潰されていたため、二人には届かない。


(く、苦しい……でも)


 すこしだけ胸が高鳴った。
 まさか彼が庇ってくれるとは思わなかったから。
 しかし直後勢いよく突き飛ばされたことで、胸の高鳴りはどこかへ消えた。


(女の扱いを知らんやつだ)


 汚れた服を払いながら心中で零している間にも、会話は進む。
 いつの間にか室には薔薇姫とわたしのふたりきりだった。
 ずっと我慢していた、泣き笑いを浮かべる。


「……おひさしぶりです」
「おお、元気そうでなによりじゃ」


 彼女の腕の中は、暖かかった。
 ――それは久しく感じていない、母のぬくもりを思い起こさせた。

 しかし薔薇姫はわたしの腕輪に視線を向け、眉根を顰める。


「妾の忠告は余計なことだったかの」


 わたしは首を横に振った。


「殺さない為に、殺す武器を持つのはおかしいことなのかもしれない。だけど例えあの男でも人の命を奪ったら、もう元に戻れない、、、、、。 でも、わたしはわたしのまま、、、、、、家に帰るって決めた。
 あなたのおかげなの」


 だからそんな顔をしないで。呟いたわたしに、目前の美女は極上の微笑みを浮かべた。


「ほんに、お主は冬姫とそっくりじゃの。 見目だけでなく、意思の強さも、心のやさしさも同じじゃ」
「――そんなに似ていますか?」


 頬に熱が集まる。
 年を重ねてもなお美しかった、祖母に似ているのと言われるのはとてもうれしいことだから。


「似ている。 そなた舞は?」
「少し。 祖母から習いました」
「うむ、ではいつか妾にみせておくれ」


 そして時間切れじゃと呟き、彼の美しき人は閃光の中に消えた。










□□□









「……こんな饅頭作る女なら後宮に来てもいいんだがな」
「作れなくて悪かったですねー」


 昨夜は呆然と座り込む美男二人をそのままに、一人室へ戻った。
 そして今朝、事後報告の為再び府庫へ赴く。
 すると、主上と邵可様が立ち話をしていたというわけだ。


「そなたは別だ!」


 わたしの突然の出現に顔を引きつらせつつも、きっぱりと言い切る主上に笑いがこみ上げる。


「それはどーも」


 柔らかな風に春の訪れを感じた。
 桜の季節はもう、目前だ。