「様! 新しく召された武官をご覧になられましたか?」
「……いいえ。 とても美丈夫だとか?」
「ええ、そうなんですの」
女官達は「きゃっ」と頬を赤らめる。
わたしはにこやかに相づちを打ちつつも、内心で冷や汗を流していた。
鴛洵様から香鈴を託され、薔薇姫と再会し、春の訪れを感じる。そろそろだろうと思ってはいた。近々秀麗が後宮(ここ)にやってくると知っていた。
だというのに心のどこかで拒否していた……いや単に恐れていたのかも知れない。
───静蘭との再会。
ままならない心との対決を。
「なぜあなたがここにいるんですか?」
「……女官だから?」
一見さわやかな、しかし黒いものを感じさせる笑顔に顔が引きつるのを隠せなかった。彼に対する時だけあり得ないほどペースが乱れる。こうなるとわかっていたから、避けて会わない様にしてたのに。
「急にいなくなったと思ったら、後宮ですか」
「しょ、邵可様は以前からご存知だったけれど」
曖昧に微笑み小首をかしげると、「旦那様にそういった期待はしないでください」とため息をつかれた。
久方ぶりに見たけれど、彼はやはり美形だった。絵師に筆を取らせたら高く売れるんじゃなかろうか。贔屓目なしに美人。
でも性格悪いからマイナスだと思うんだ。
(なんで静蘭と話すときだけこんなに緊張しなきゃいけないかな!?)
,
そんな感情を読まれるのが嫌で、無理やり笑顔を作った。
「同じ主上付きだし。 ええっと……よろしく?」
「まあいいでしょう」
静蘭はなんだか偉そうに頷く。
その時、
「静蘭」
明るい声が控えめに廊下に響いた。
「お嬢様」
静蘭は振り返ると、満面の笑みを浮かべる。彼女と邵可様だけに見せる、本当の笑顔を。
「あら? 誰かいなかった?」
貴妃の正装をした秀麗は不思議そうに静蘭を見上げた。簪がシャナリと鳴る音すら麗しい。
「ええ、実は……」
しかし振り返った先にわたしはいなかった。
「いえ、なんでもありません」
「あらそう? それじゃあ……」
なごやかに語り合う二人を尻目に、全速力で廊下を歩いた。
目立たないよう、しかし素早く。
「ここまで来れば……」
見つからないだろう、と言いかけてやめた。
追いかけてくるはずのない足音に耳を澄ませたくはない。
苦笑し、頭を上げる。
するとうろうろと歩き回る絳攸が目に入った。
「李侍郎。 こんなところになんの御用ですか?」
吏部侍郎が後宮の最奥に用事があるわけない。分かった上でからかうように聞いた。すると彼は肩を震わせ怒ったような顔でわたしを見、そして目を見開いた。
「泣いているのか?」
「……え?」
頬を流れる液体の熱さに困惑する。
「嘘……なんで? あ、あはははは」
こんなことで泣くなんて笑える。
迷惑そうな表情を浮かべた絳攸に、泣きながら苦笑いを浮かべた。彼は一瞥してこの場を去るのだろう、そう思った。
彼はしかし意外な事に嫌そうな顔をしながらも刺繍の入った手ぬぐいを差し出してきた。
「これだから女は……! 仕方ない、これで拭け!」
「ありがと」
手ぬぐいを受け取りざま、強引に絳攸を引き寄せる。
「な、何をする!」
「ちょっと胸貸しなさい」
香(こう)が仄かに鼻をくすぐった。絳攸の胸に顔を寄せ、涙が収まるのを待つ。
諦めに満ちたため息が頭上で聞こえ、しばし静寂が支配した。
「ありがとうございました」
顔を上げ、絳攸の赤く染まった顔をまじまじと眺める。
そのかわいらしさに頬が緩んだ。
「吏部まで送ります」
「むっ……!」
「お礼です」
文句を言いたそうな絳攸の返事を待たず、歩き出す。
天では星が輝いていた。