「、頼みがあるのだ」
一瞬鋭さを見せた劉輝の表情がふわりとした微笑みに変わる。
「そこの花菖蒲を李絳攸と藍楸瑛に渡して来て欲しいのだ」
指し示した花菖蒲の色は紫だった。
「……かしこまりました」
敬意を示す為に頭を深々と下げ、歩み寄る。きょとんと見上げた主上に微笑みかけ、頭を撫でた。
「立派になりましたね」
「……」
子犬のような瞳でうるうる見つめるでっかいわんこ。
じゃなかった、主上を抱きしめたい衝動を抑え臣下の礼をとった。
「主上のお心、彼らなら分かることでしょう」
紫の花菖蒲を持ち、室を出る。
最後に振り返ると、わんこは寂しげな目でわたしをじっと見つめていた。
――まったく、可愛いんだから。
「李侍郎、藍将軍」
人気のない廊下に差し掛かった頃合いを見計らって、二人に呼びかけた。
少し驚いた表情で立ち止まった彼らの前に立つ。そして生花を差し抱くように深く頭を垂れた。
「――主上からお二人へと言付かって参りました」
絳攸が困惑気味に口を開く。
「お前がか……? いやそんなことより」
「主上が――これを私たちにと?」
絳攸の言葉を遮るように楸瑛がわたしの手をとった。
剣を持つ者独特のゴツゴツとした感触がふわりと包み込む。
わたしは楸瑛のつり目がちな瞳をひたりと見つめた。
「ええ」
この返事に楸瑛は、思わずといった風に笑顔を零した。
そして二人は、「この早さは合格」などと偉そうなことを言いながら花を受け取る。
――下賜の花、を。
下賜の花は王からの絶対的な信頼の証。
……彼らはその意味をわかっているのだろうか。
「ではお二人ともよろしくお願いします」
劉輝さまを支えてね?
口には出さず呟いた。
楸瑛はわたしの手を掴み、指先にくちづける。
「あなたにそう言われては、裏切ることなどできませんね」
「……そうだね。 期待してるよ」
楸瑛の腕をやんわりと払い、その場を去った。
□□□
ほかほかとした湯気の立ち上る薬湯を持って貴妃の室を尋ねた。
すると香鈴が秀麗、珠翠様と共に刺繍をする最中と出会う。
……この子ったらいつのまにこんな器用な特技を!
「刺繍ですか?」
見たままを秀麗に問いかける。
すると、
「ええ、もいかがですか?」
「――わたしは……刺繍とかそういうのはちょっと……」
プチプチやるのが性に合わないんだよね。
しかし一体何に驚いたのか、秀麗は驚愕の表情を浮かべた。
「まあ、もですか? ――では折角ですからもやってみなさい」
「――え? ええ」
これが"秀麗"から言われたことなら、さっさと逃げてしまっていたことだろう。
しかし今は違う。彼女は秀麗である前に紅貴妃なのだ。つまりこれは貴妃命令とも取れる。
もちろん秀麗自身にそんな意図はないだろうし、本気で嫌がれば断れるだろう。
だがそこまでするほどのことでもない。
ゆっくりとした動作で椅子に腰掛けた。
そして我ながら意地悪かもしれないなーと思う笑顔で薬湯を差し出す。
「紅貴妃様の具合が悪いそうだと女官達が心配しておりましたよ。 無事に健康な
その言葉に秀麗は顔を赤青と染めあげた。
この場に香鈴がいなかったら、阿波踊りの一つでも踊ったんじゃないかと思えるほどの狼狽っぷりだった。
そして一刻後、なんだか歪な形をした冬姫牡丹の刺繍がわたしの目前に鎮座することになる。
まあ刺繍なんてあっちの世界でもやったことなかったし。
「秀麗」
珠翠様はお仕事、香鈴は片付けで席を外している。
二人きりの室内で秀麗に歩み寄り、刺繍を膝に被せた。
「あげる」
「そんな!? 折角だからも大切な人にあげなさいよ」
なら恋人の一人や二人いるでしょう?と問いかける。
――大切な人、ねえ。
仕方がないので、一人ならまだしも二人はいらなかな、とはぐらかした。
「わたしは秀麗の事好きよ? だからあなたが持っていて」
そう言って覗き込むと、秀麗は茹で上がったタコのように顔を真っ赤に染めた。