花影

 萎れた花の様だと思った。それは高山に咲く気高き不可侵の花。
 小高い丘の上で見たのは一人の老官とそれに縋り付き泣く佳人。老官は探していた茶太保に間違いなかった。
 しかし彼女は誰だ?跪き問いかけると蚊の鳴くような声で、


……」


 と答えた。
 そんな場合ではないと分かっていつつも、涙に濡れて輝く幻想的な美しさに一時見蕩れた。









「茶太保と一緒にいた女官を連れて参りました」


 自分の言葉に死んだ様に俯いていた佳人が焦点を合わせる。彼女の視線の先には驚きに目を見開く藍将軍がいた。


「韓升、よく連れて来てくれたね。殿、探しましたよ」
「藍……将軍……」


 彼女の黒い瞳に陽炎の如く儚い光が灯った。


「静蘭は……? それに秀麗……、主上は無事?」


 うわごとのように呟く。


「もちろん。 静蘭と秀麗殿はしばらく療養する事になると思いますが、命に別状在りませんよ」
「そう」


 ほっとした様子で息をついた女(ひと)を、藍将軍がさりげない仕草で引き寄せる。
 ――彼女は藍将軍の恋人なのだろうか?瞬間ずきりと痛んだ胸を押さえ、よくわからない葛藤に頭を悩ませた。
 とその時背後の扉が開き、渋面の李侍郎が顔を見せる。


「だから女は嫌いなんだ!」
「おやおや絳攸、ちょっと落ち着いてくれないかい?」


 しかし藍将軍の胸の中に女人がいる事を見てとり、表情に憤怒を浮かべる。


「貴様、こんな時になにしてる! そうでなくともあの女の自殺未遂騒ぎで余計な手間を取らされたというのに!」
「絳攸!」


 黙れっと藍将軍にしては珍しく激しい口調で嗜める。


「……自殺?」


 ゆらりと振り向いた彼女の顔は真っ青を通り越して白い能面のようだった。


!?」
「自殺騒ぎってどういうこと? ……まさか」


 藍将軍の衣を握りしめた指がカタカタと震えた。


「……まさか、香鈴?」


 青ざめた顔で藍将軍を見上げる。藍将軍は躊躇した後、誤摩化しきれないと判断したのか、


「……そうだ」


 と呟いた。次の瞬間聞いた声を自分は生涯忘れられないだろう。彼女は自分の腕をえぐる様に握りしめ、悲痛な叫び声を上げた。そして、「わたしのせいだ……わたしの……鴛洵様……」と呟くと扉に向かって駆け出した。


殿! 今のあなたは行くべきではない!」
「いや、離して! 離してー!!」


 そう言うと藍将軍の隙をつき、腕をすり抜け、止めようとした李侍郎を殴り飛ばす。


! 落ち着け!」
「いやあああ!!」


 どこからか取りだした刃物を振りかざした瞬間、藍将軍の手刀が彼女の首筋に落ちた。


「あなたに手を上げたくはなかったのですが……」


 藍将軍の呟きに隠れ、彼女の声がうわ言の様に聞こえる。


「こうりん……えんじゅんさま……」


 涙が一筋頬を伝い、落ちた。



*皐韓升視点