「、その書類取ってくんね?」
「自分で取ればいいじゃない」
言い捨て燕青に背中を向ける。そして笑顔で悠舜様にお茶を差しだしたのだった。
「凛姫から頂いたお茶です」
「ありがとうございます」
それは王宮でも通用するような超一級品。受け取ったときはさすがは凛姫と驚いた。
(愛されてるね)
人の良い笑顔でお茶を受け取る悠舜様に、「さっさと結婚したらいいのに」と心の中で呟く。そして、「ひでー! 俺にだけくれねえの」と燕青のぶつくさ言う声に一瞥して、「ふんっ」と目を反らしたのだった。
燕青には理由もなくつんけんしてしまう。しかし数分の黙考後、卓子の下から取りだした小さな饅頭と入れなおしたお茶を手に燕青の元に向かった。
「おー! さんきゅーな!」
ぱくりと一口で饅頭を飲み下す。
――別にわたしが作っているわけじゃないが、燕青の食べ方は作っている人に対する冒涜ではなかろうか?(食が良いと喜ぶ人もいるかもしれないけれど)
精悍な顔に締まりのない笑顔を浮かべる燕青をしばし見つめ、くるりと反転し踵を返す、返そうと思った。
「もちっとは休めよ」
しかし腕を掴まれ、微動だに出来なくなる。押しても引いても動かない腕に頭に血が上りかけ、それを冷静にさせたのは悠舜様の優しげな声だった。
「そうですね、朝からずっと働き通しでしょう?」
燕青の腕をぺちりと叩き、悠舜様の言葉に頷いた。
「はい、でもどうってことないですよ?」
こう見えても羽林軍精鋭兵士ですら逃げ出すという宋太傅のしごきに長年耐えて来たのだ。体力には自信がある。しかし紅一点の良さと言うか悪さと言うか、荷物を持って歩くだけでどこからともなく州官の誰かが現れ、荷物が攫われ目的地まで離してくれない。気を使ってくれるのはありがたいのだが正直ありがた迷惑というか、わたしに構う暇があるのなら他の仕事をするなり休むなりして欲しい。
しかしそれは今回の問題とは関係なくここで、「まだまだ大丈夫です」と言った所で彼が紊得するわけも無いとわかっていた。
「では失礼して」
肩をすくめ、自分用のお茶を入れる。そして厨房係のおじさんが作ってくれたクッキーとパイの合いの子のようなお菓子を口に含む。
(幸せー)
甘いものってなんでこんなにおいしいのかな。
「なんかいいことあったのか?」
「ん?」
はむはむと飲み下し、燕青の声に茶碗を持ったまま振り返る。
「さあ? あったとしても燕青には関係ないでしょ」
「ひっでー! は他のやつにはすっげー優しいのに、なんで俺にだけキツいのー!?」
そういえばなんでだろう?
瞬間過った役者仲間の顔に合点がいく。
「だって燕青ってわたしの悪友にしゃべりかたそっくりなんだもの」
「へー、どんなやつ? 男?」
「当たり前でしょ。 燕青に似てる女の子なんていたら可哀想だわ」
髭の生えた女の子を想像して「ぷっ」と吹き出し、ツボに嵌り笑い転げた。
「本当によく笑う様になりましたね」
鄭補佐のぼそりとした呟きに、かつての自分の振る舞いを少しだけ反省した。しかしいつの間にやら近づいて来た燕青が、
「もーらい!」
と口ものとに付いていたお菓子の粉を指で拭い、ペロリと舐めたことでそんな思考は吹き飛ぶ。
「……セクハラ……」
「せく、はら? って何だ?」
「性的嫌がらせ」
熱の集まった頬を背け、燕青の手をたたき落とした。
「ところで茶家の当主会談の話なんだけどさ」
世間話のような軽い口調で話し始めた燕青に室の空気がぴりりと尖る。集中した視線に姿勢を正した。
「克洵殿と共に乗り込んだと伺いしましたが」
危ない事をと、鄭補佐の眉間に寄った皺が語る。
「ええ、でもわたしは室の外で克洵さまをお待ちしていただけです」
怒られるのが嫌なので小首を傾げて可愛い子ぶりっこをしてみる。
もちろん危険なことだとわかっていた。しかし私には彼に従うべき理由がある。いざとなれば身を挺して克洵さまを守るつもりでいたし、その為に剣を帯、男装姿で彼に従った。
しかしそれは杞憂に終わった。
相手にされなかったのだ。
だが他の誰にも分からなくともわたしと、春姫様には分かっている。
「全権を英姫様に預けて、茶州の立て直しを計るべきだ」
きっぱりと言い切った克洵さまからは次期当主と言って差し支えない風格が漂っていた。
その直前、「どうしましょう、さん。 やっぱりやめておきましょうか」と言われたときは張り倒そうかと思った……というか実際に張り倒したのだが。しかし彼には見所がある。
「は本当に克洵贔屓だなぁ」
「悪い?」
「いんや別に」
じゃあ始めるか!
燕青の言葉と共に執務室は再び戦争のような忙しなさに包まれた。
そして瞳を閉じる。
この世界の記憶など、ほとんどなくした。
でも覚えている事はある。
『鴛洵様を人柱にしてたまるか』
帰ること、守ること。それがわたしの誓い。