華美ではないものの一目して良いものだとわかる調度品が並ぶ邸の南側。そこが彼女の室だった。
決意をしたなら後は行動あるのみ。
わたしは顔をあげ、英姫様と対峙した。
「そなた本気で言っておるのか?」
「はい。 どうかわたしに」
ピンと張りつめた空気の中、大きく空気を吸い込む。
「わたしに異能の使い方を教えてください」
彼の婦人は椅子に深く腰掛け息を吐き出した。その音が二人きりの室に響き渡る。そして、
「話にならん」
「英姫様!」
扇をぱしりと閉じる音が耳の奥で反響した。
「そなたその前に妾に言っておかなければいけないことがあるな?」
その言葉に息が詰まる。一瞬にして喉がカラカラに乾き、掌にじっとりとした汗が滲んだ。
「ふん。 そなたの考えなどお見通しじゃ! 以前は憔悴しきっておったから、何も聞かないでやったのじゃ。 サクサク話さんかこのバカ娘が!」
「……英姫様……」
瞬間、瞼の裏側に涙が滲んだ。それは悲しかったからじゃない。
その言葉の奥にある慈愛に、泣きそうになったのだ。彼女が今聞いてくれなかったらきっと一生言えないでいた。それは多分、すごく苦しかった。
だからわたしは溢れそうになる涙を飲み込んでこう告げたのだ。
「わたし、鴛洵様を見殺しにしました」
頭の中でその言葉が反響する。
克洵さまと出会って、泣いて、軽くなった心。
もう大丈夫。嘘。まだ少し重い。
怖くて仕方が無くて、言い出せなかった真実。
それを言った。
しかし英姫様はしごくあっさりと扇を振るう。
「ふん、鴛洵はそなたが見殺しにしたくらいで死んでしまうほど柔な男ではないわ」
「でも……! わたし知っていたのに! 鴛洵様が死ぬってずっと前から!」
英姫様の瞳が刺す様に細く、わたしを見つめる。それはまるで心の奥底を覗いているみたいで。
「わたし知っていました。 この世界に連れてこられるずっと前から。 出会う前から知っていたんです!」
「それは冬姫とそなたの世界の話じゃな? 想像はつく、話せ」
堪えきれず頬を涙が伝い落ちる。
「わたしはこことは違う世界から来ました。文化も、歴史も何もかも違う。ここにはわたしの友達はいなかった。お母さんもお父さんも弟も誰もいなくなっちゃった。
……拾ってくれたのが鴛洵様だったのに。なのに、わたし鴛洵様をどこかで『一人の人間』って思ってなかったのかも知れない。だってここに来る前から知ってたんです。この世界はわたしにとって『本の中の世界』だった!どこかでここを現実と認めてなかった。でも違った。 鴛洵様が死んでそれがよく分かった。
ここは現実なんだって、死んだ人には二度と!永遠に会えないって!」
絶叫の後息が切れ、肩で息をする。しばし英姫様が扇を扇ぐ音だけが空間を支配した。
そして一陣の冷たい風が頬を撫でる。
「それだけか?」
「……!!」
勢いよく顔をあげ、英姫様を睨み据えた。
「それだけかと聞いておる」
「それだけって! わたしは!」
「黙りいや!」
扇の閉まる音と貫禄に、怒鳴ろうとした頬が引きつる。しかし次の言葉で冷や水を浴びせられた様に頭が冷えた。
「その話、鴛洵は知っておったのか?」
「いいえ……言えませんでした」
何故?と英姫様は問いかける。
「おかしなやつだと思われたくなかったんです。 信じて、もらえると思えなかった。 結局わたしは……」
「鴛洵に嫌われたくなかったのだな?」
惚けた顔で見つめたわたしに、英姫様は鼻を鳴らす。
「何が一人の人間として見ていなかったじゃ。 そなたは鴛洵が好きだったのだろう? だから嫌われるかもしれないことは言えなかったのじゃ。 そなたは阿呆だ。 自分を嫌悪するばかりでなにもわかっておらん」
口をぱくぱくと動かして「英姫様」と呟く。しかし彼女はそんな言葉は無視をして、
「そして鴛洵を甘く見るな。 あれはそんな些少なことが分からぬ小さき器の持ち主ではない。 ましてや愛娘のことではな」
と言った。
「まな……むすめ……?」
英姫様はくちびるをつり上げ、笑った。それは大輪の花のようで、
「そうじゃ、鴛洵はそなたたちのことを愛しておったぞ。 のう、よ」
本当に綺麗だと思った。