甘やかな指先

 踵を返して歩き始めた足はいつしか駆けていて。
 馬鹿馬鹿しい。そういって振り払うことは簡単なはずなのに。
 愛なのか、執着なのかすらわからない感情に心が揺り動かされた。
 そして路傍の片隅で、無茶な全力疾走に足が絡まり倒れる。


「……わたしは馬鹿だ……」


 手の甲に落ちた涙に自嘲的な笑みを浮かべた。
 そして急速に薄れゆく意識の中見たのは、


「……さま?」


 さらさらと音を立てて風に舞う絹糸の髪だった。








 意識を取り戻して最初に見えたのはくちなしいろの衣と薄い微笑。一歩間違えば酷薄に取られかねないそれも、彼が浮かべると誠実で優しげに感じた。


「……鳳珠さま……?」


 揺れる床と共に声がうわずる。おどろき周囲を見渡すとそこは立派な造りをした軒中で。
 鳳珠さまに介抱されていたのだろうか?
 考えをまとめるためにもう一度見渡して、


「きゃあ!?」


 自分の体勢に気づく。
 わたしは彼に膝枕されていた。しかし慌てて起き上がろうとするも肩に指先が添えられていて微動だにできない。


「遠慮せず寝ていろ」


 押さえつけられているわけではないのに起き上がれない。
 諦めて力を抜くと、白い指先がわたしの髪をやさしく梳いた。


 ……猫になった気分がした。
 撫でて、滑って、あやして。
 ずっとこうしていたら、日々は甘やかで穏やかに過ごせるかもしれない。そう思ったら不意に、『甘えたい』という衝動がこみ上げて溢れ出た。


 抱きついて、全て打ち明けて背中を撫でて欲しかった。
 甘い指先で心の中まで愛撫されたい。


 でも、、


「大丈夫です」


 弱いわたしは一度縋り付いたら二度と離れられないから笑顔でやさしさを拒絶して、起き上がる。
 そして振り返り、イライラと様子を伺っていた彼と視線を合わせた。


「ふん、ようやく起きたか。 ならばさっさと出て行け」
「黎深、これは私の軒だが……?」


 紅い悪魔が厚顔不遜に扇を振る。
 遮る様に殺気を放った鳳珠さまに申し訳なさでいっぱいになった。


「いえ、鳳珠さまわたしは降ります。 お二人には大変ご迷惑をおかけしました」


 頭を下げて、心配そうに眉根を寄せた鳳珠さまを見上げる。
 仮面をつけない彼は相も変わらず綺麗で、それは顔立ちの美しさだけではなく、高潔な魂のなせる技なのだろうと思った。
 お別れを言おうと口を開きかけ、今分かれたらしばらく逢えなくなることに気づく。
 不意にさみしくなって鳳珠さまを見つめた。鳳珠さまもわたしを見つめていた。
 その一瞬は永遠だったのかもしれない。
 そして次の瞬間。


「私を無視するな!」


 黎深様の怒声と、


「揺すっちゃだめ!」


 凛とした少女の声が重なった。