重なった声の主は紅秀麗。
事態を察知した鳳珠さまは流麗な仕草で軒を降りた。
時々、秀麗ちゃんがうらやましくて堪らなくなる。
彼女はわたしの持っていないものをたくさん持っていたから。
その最たるものが『天運』という名の持って生まれた強い縁で、
努力が伴わなければ朽ちただけだと知っていても、それでも努力以上を持つあの子がうらやましかった。妬んでしまう自分が嫌なのに、時々気持ちを留めることが出来なくて苦しくなるのは何故なのだろう。
沈み込んでしまった思考を断ち切る様に日差しの降り注ぐ路上を盗み見るとちょうど、『茶州の禿鷹』を自称する少年を担いだ黄家の家人が軒に乗り込んでいた。
様子を伺いにきた鳳珠さまに、こちらの軒でも……とわたしは言いよどむ。しかし彼はやさしく微笑み頷いた。
大人の配慮ってこういうことなのかもしれない。心の準備ができないまま秀麗ちゃんや燕青と鉢合わせしたら心穏やかでいられなかった。
もちろん傍らでギスギスした空気をまき散らしまくっているこの方の存在も考慮の上だろうけれど。
「おい、御者。 黄邸に迎え」
仰ぎ見れば紅い男が忌々しそうにこちらを一瞥した。美男なのは間違いないが、その性根が凶悪であることも一目瞭然。手の中で優雅に揺れる扇ですら偉そうに見えた。
軒内という狭い空間には今、わたしと黎深様の二人きり。
耐えきれなくなって軒から外を眺める。
景色がさらさらと流れて あ、子供が転んだ。
……。
……。
思わず冷や汗が浮かぶ。
しかし同乗者はこの状況を改善しようとするどころか、
「勘違いするなよ」
「は?」
するどく睨む瞳に思わず剣呑に答えた。すると彼のいら立ちを伝える様に、ギリリと扇が悲鳴をあげる。
「お前など私がその気になれば一瞬でこの世から消してやれるんだ。 あぁ兄上が駄目だと言うから見逃してやっているということを忘れるな」
兄上という部分で声が裏返った。
彼の言葉など流すことも出来たはずなのに、どうにもできない。 これがカッチーンとくるというやつか。
大人げないとわかっていつつ、気がつけば言い返していた。
「そこまでおっしゃるなら言わせていただきます。あなたがもしも邵可さまの弟で秀麗ちゃんの叔父さんで鳳珠さまと悠舜さまのお友達でなければこうして二人でお話なんかしたくないくらい、わたしもあなたが嫌いです」
ノンブレスで言い切り、睨み上げる。すると秀麗ちゃんの叔父さん……の辺りで緩んだ口元が皮肉気な形を象り、笑った。
厚顔不遜という言葉をそのまま表した表情。
「ふん、身の程知らずの女風情が」
というかガキ大将?
さきほどまでは腹が立って仕方のない仕草だったのに、ここまでくると色々突き抜け過ぎていてかえって肩の力が抜ける。馬鹿可愛いという心境にうっかり到達してしまったのかもしれない。
だからわたしはざわめいた悪戯心の示すまま口元だけで微笑んだ。
「女風情……ですか」
少し思案する振りをして、満面の笑顔を彼に送る。
「今度秀麗ちゃんに会った時、紅家のご当主は女風情が粋がるのが嫌いだそうだから一生会わない方が良いと進言しておきます」
「なななんだと!? 貴様本気で殺してやろうか」
「ご自由に。 でもそのあと待っているのは邵可さまの無視ですよ」
ふふん、と笑う。
すると黎深さまはくやしそうに扇をにぎりしめて、そっぽを向いた。
……あなたは子供ですか。
思わず吹き出すと、濃い殺気が軒を充満した。
御者の人ごめん。