もう、波は消えない

「蒼遙歌舞団?」


 仕事を黙々と片付けつつ、悠舜様は頷く。


「ええ、かの蒼玄王の時代より連綿と歌舞を奉じ続けているという旅芸人です」
「バッタもんじゃねえのか?」
「そうね」


 彩雲国に住まうものならば、その名を一度ならずも聞いたことがだろう。「蒼遙歌舞団」庶民が王家の蒼の字を、ましてやかの蒼遙姫の二文字を名乗っていることからして尋常ではないことがわかる。
 でも眉を顰めたのには理由がある。
 実は彼ら、十数年前を境に大衆から姿を隠してしまったのだ。
 賊に襲われて壊滅しただの、内部分裂による消滅だとか噂は絶えない。しかし彼らがどこへ消えてしまったのか、本当のところは誰も知らなかった。
 そこがまた根も葉もない噂を生む元で……。
 その蒼遙歌舞団が茶州に現れたとの一報がもたらされたのが今朝のこと、秋祭りで興行を行いたいとの申請を受けているから間違いないだろう。


「もしも本物だとしても、わざわざ茶州に来ないとは思うけどね」
、お前はっきり言うなぁ」


 だって事実なのだから仕方ない。
 どう考えたってそんなすごい旅芸人なら王都か紅州、藍州のどれかへ行くのが普通だろう。そもそも蒼遙歌舞団に限らず、ここ数十年で自主的に茶州を訪れた旅芸人なんてわずかしかいないのだから……朔みたいなぼんくら金持ちドラ息子が呼んでるのは別として。
 それだけに何か企んでいる偽物、という可能性が高いとは思う。
 だが、もしもという可能性もある。


「お前顔がにやけてるぞ」
「燕青よりはまし!」


 胸ぐらを掴み引き寄せ、頬をむにーっと摘む。
 ……肉がない。仕方ないので平手で軽く叩き悠舜様に向き直って、


「あの……っ」


 真摯な態度でお願いをした。


「ええ、殿さえ宜しければ」
「……俺は無視かよ……」


 燕青には冷たいなのであった……なんちゃって。















 翌日久しぶりに男物の官服に手を通し、街に出た。
 髪はひっつめてお団子にし、眉を少し濃く描く。監査という名の偵察を行うため、蒼遙歌舞団を尋ねるのは午後からの予定だ。本当はこんなに早く邸を出る必要はなかったのだが、昨夜興奮で眠りにつけなかったのだ。だってもしも、万が一にでも本物なら、「伝説」とまで呼ばれる旅芸人たちに会えかもしれない。
沸騰するような興奮は収まらなかった。
 しかし腹が減っては戦はできぬ。唐突だけどお腹空いた。
 それゆえ、わたしは商店街への角を曲がって香しい芳香漂うのれんを潜り、一声叫ぶ。


「おじちゃん汁麺一杯!」
「あいよっ」


 店主の威勢の良い声と共に出てきたのはほかほか汁麺。ここの采は本当に美味しい、そのうち香鈴も連れてきてあげたいな。
 そんなことを考えながら、口に運ぼうとした瞬間、


「じぃー」
「蓮花ちゃん、そんなに見たらダメだよ」
「じぃー」


 そんな会話が斜め下から聞こえた。
 箸を止めてその方向を見ると、佇む愛らしい少女が二人。
 まず目についたのが綺麗な亜麻色と黒だった。そしてくりくりとした瞳を内包する整った造作。
 年は香鈴より少し下くらいだろうか?幼い双眸が期待を込めて見つめている。


「ええ、と……」


 冷や汗が流れ落ちた。
 しかし絶えない純真な視線に、


「……君達も食べる?」


 負けた。
 すると待っていましたとばかりに、二人は勢いよく手を上げる。
 次いでぴょこんと揺れる亜麻色と黒。


「「食べるー!」」


 ……可愛い。
 そして店主に四人がけの卓子を用意してもらい、三人で汁麺をすすった。
 食べながら聞くと亜麻色の髪が蓮花、黒髪が菫という名前らしい。
 しかも双子。わたしは二人の似通った、しかし色素の違う髪色を眺めながら、たわいもない考え事をした。それにしてもいきなり知らないお兄さん(彼女たちから見れば)にご飯をたかるとは大器というか危なっかしいと言うか。
 だがそれを注意口調で問いかけると、


「「だってお姉さん私たちと同じだもん」」


 と異口同音に言った。


「え……!? いやわたしは……」
「「お姉さんだよっ」」


 蓮花と菫は、「ねーっ」と顔を見合わせ小首を傾げる。
 可愛い、いやそんなこと考えてる場合じゃない!思わず立ち上がろうとした。
 瞬間、肩にかかった誰かの手のひらがやさしく押しとどめる。
 そして視界を過った紫にわたしは、


「蓮花、菫、ちゃんとお迎えできたかな?」
「「はーい」」


 戦慄を覚えた。
 蓮花と菫が椅子から飛び降り、声の主に飛びつくのを見ていた。
 それは男にしては高く、女にしては低い美声。
 次いで吸い込まれそうな桃色の瞳が柔らかく笑んだ。


「二度目だね」
「……あなた……」


 言いながら男性にして華奢な作りの身体が軽く傾げる。
 綿菓子みたいな紫の髪が風に舞っていた。
 そしてひざまずき、手の甲に落ちたくちづけに、


「探したよ」


 胸が高鳴る音を聞いた。