「俺は揚羽」
微笑んだ彼に、頬が熱を集めた。
しかもぽーとしているうちに天幕に連れ込まれ……いや案内され、「お茶を持って来るから待っていてね」と告げる。覗き込む二対の瞳と、
「おねえちゃん大丈夫ー?」
労わる菫に返事を返そうと顔を上げた。
でもなぜか楽しげに告げられた蓮花の言葉に、
「揚羽お兄ちゃんはかっこいいから仕方ないんだよ」
「そうなの?」
「そうなの!」
「「そうだね!!」」
ちがーう!
別に顔に見蕩れてたわけじゃ……ないこともないけど、とにかく違う!確かに彼は綺麗な顔をしているけど、これはそんな甘ったるい感情ではない。だが目前の双子はわたしの反論に耳を貸さず、くるくると踊り始めた。
そしてお盆片手に現れた男は、
「二人とも、に遊んでもらえて良かったね」
「「うん」」
状況を把握していないふりの笑顔を浮かべたそのままで、双子の頭を撫でる。
次いでこっちを眺めてニコニコと。
それを見て思った。
こいつ絶対全部わかっててやってる。
しかしそんな事を口に出せるはずもなく、艶やかな桃色の瞳を眺めて再び硬直。
それでもなお、彼はただ微笑んだ。
「粗茶ですが」
「いただきます」
動揺を悟られないように小さく息を整えて、茶碗を受け取った。
まず一口。
え、っと二口。
……視線を感じる。お茶を口に含んだ瞬間も、お茶菓子として出された桃饅を頬張った時すら。しかも、
「あの」
「なに?」
さり気なく人の手を握るなー!!
「だって寒そうだったから。 俺、体温高いからちょうどいいでしょ?」って。そういう問題じゃない。
「離してください」
「そう?」
すると彼はためらいなく手の甲にくちづけ、離す。
あんた中世の騎士か。
けれど双子は頬を膨らませ、はもる。
「「お姉ちゃんばっかりずるーい」」
それを聞いた揚羽、つまりナチュラルセクハラ男は小さく笑うと、蓮花と菫を膝に乗せた。じゃれつく二人はとても可愛いけれど。
このままじゃ五歳は老ける!!
なんて考えていたら、
「君はいつでも若々しくて、可愛いよ」
読心術を使われた。
この人、変。
連れ込まれたとき感じた確信を確かにする。
「わたし、今から行く場所があるので」
「うん、だからここ」
「は?」
「蒼遙歌舞団」
彼らが「伝説の」旅芸人蒼遙歌舞団だなんて絶対嘘だ。
だがまたしても読心術を使ったらしい彼は手にした書類をひらひら振る。それは確かに州府に申請されたものと同じで。
───変な人。
揚羽の情報網には舌を巻くしかない。
どうやって昨日急遽決まったわたしの視察を知った?何故汁麺屋に寄ると思ったのか。考えればキリはない。
「これが君と俺たちの運命だから」
なんて馬鹿馬鹿しい。
普段ならば「意味不明なこと言うな!」と一蹴したであろう。
でも彼らに対してそうする気になれなかった。
どうして?と聞かれたら困る。それこそ運命に導かれて、とでも答えたら良いのか。
そして天幕を冷たい風が揺らす。
さてお仕事しなくっちゃ。
「今回の秋祭りと、あなたの歌舞団のお話を聞かせてください。 茶州府へはわたしから伝えます」
「ありがとう。 でも少し待ってもらえるかな? 団長がもうすぐ帰ってくるはずだから」
問いかけを遮って再び差し出された桃饅。はぐらかされたのだろうか、でも思わず口に含む。
「おいしいです。 手作りですか?」
「そう。 これは……」
言いかけ振り仰いだ瞬間、天幕が陰る。
次いで現れた一人の男。
狼。
高潔にして孤高、鋭い牙を持つ戦士、自然とそんな言葉が浮かんだ。
「お帰り」
彼は揚羽の言葉に答え小さく頷く。野生の獣のようにしなやかな体躯。
風が空間を吹き抜けた。
次いで真っ黒な瞳がわたしを睨む。
「団長の飛燕だよ」
若い。
団長という言葉から想像していた中年の男性というイメージが崩れた。揚羽と同じ年くらい、二十代中頃といった所か。彼らは本当にあの「蒼遙歌舞団」なのだろうか。
一瞬の躊躇の後、手を差し出した。
その時気がついた。
なんだかんだ言って、彼らを信じて始めていたのだ。
でも無視された。握手を求めた掌は空を切り、心に怒りを生み出す。
だが、
「ごめん、飛燕は握手しない主義なんだ」
揚羽の仲裁で矛を収め、便宜的な問答を始めることにした。
わたしは大人、わたしは大人。……よし!
そして彼らがたった四人からなる一座であることを知る。
「しかも俺が怪我しちゃってね」
裾を捲ると包帯に包まれた細い足首が見えた。
ちなみにすね毛はない。
「それで舞台が出来るのですか?」
「無理だね。 だって俺は蒼遙姫だから」
つまり女形。
あちらでも数回出かけた歌舞伎が脳裏を過ぎる。確かに彼ならピッタリだろう。しかし怪我……。
これには驚きを超えて呆れた。一座が四人しかいないというのも無茶だが、蒼遙歌舞団は名前の通り蒼遙姫を主題とした劇を行うものらしく、揚羽がいなければ舞台にならない。
「他の役者は本当にいないの? それに裏方だって大事な仕事でしょう。 彩雲国の伝説とまで呼ばれている一座がなんで!?」
「うーん、十年前まではね」
はじめて苦いものが過った彼の表情に、口を噤んだ。
考えてみれば、彼らが世間から伝説と呼ばれるようになったのはその頃合いだ。
つまり、そういうことなのだろう。
「気にしなくていいよ。 俺たちだけでもなんとかやってきたしね。 でも今回はさすがに無理だ。 そこで……」
「あんたに蒼遙姫をやってもらう」
割り込んだ声に思わず茶碗を落とした。
「蒼遙姫、わたしが!?」
一体何の冗談を!?叫びかけ口を閉じた。
何故なら睨む黒い瞳はそれが冗談ではないと語っていて。
深呼吸の後見上げると揚羽は微笑み、飛燕は腕を組んで明後日を向いていた。