胡蝶の夢

「すっげーなぁ」
「そうですね」


燕青は人だかりに目を丸くした。
華やかで楽しげな声。
悠舜も表情には出さないものの、上げる声には感嘆が含まれていた。

蒼遙歌舞団から招待状が送られてきたのは一週間前。燕青は、「が持ってくればいいじゃねえか」などと文句を付けていたが、なるほどこの人出は大したものだ。秋祭り当日の忙しい日程を縫って、無理に無理を重ね、部下達の血の涙を踏みしめやってきたのも無駄ではなさそうだとひとりごちた。
そして招待状を片手に入り口を通り、席につく。


「ずいぶんいい場所を押さえてくれたんですね」
「そうだな。 お、あれ何だ?」


子供のようにはしゃぐ燕青。
悠舜に嗜められる声に楽しげに頷き、次いで真隣りからかけられた声に飛び上がる。


「まったく成長のないことじゃ」
「うわぁ!!」
「これは英姫殿、ご息災なによりです」
「うむ、其方もな」


垂れた薄衣が老婦人の顔を隠す。しかし奥に在る瞳には年齢を感じさせぬ輝きがあった。
そして傍らには小柄な少女。


「なんじゃその顔は、この場に妾と香鈴が招待されるわけがあるまい」
「ではそちらのお嬢さんが香鈴さんですね」


悠舜の優しい微笑みに香鈴は伏せがちな瞳を少しだけ上げて、礼をする。


「初めまして浪州牧、鄭補佐」
「あんたがの妹か。 話はよく聞いてるぜ」
「初めまして」


燕青の勢いに肩を震わせた香鈴。しかし悠舜の柔らかい挨拶の言葉に緊張を解いた。


そして開幕の鐘が鳴り響く。
直前までざわめきが絶えなかった場内が水を打ったように静まり返った。
次いで鳴り響いた華やかな音色と、二人の少女。
琴を持つのは亜麻色の髪。対して二胡片手に舞台中央に進むのは黒髪の少女。

「双子か? 将来は別嬪さんだな」


口笛を吹きかけた燕青の口を悠舜が塞ぐ。
蓮花と菫が微笑み、左右対称に腕を振るった。
するとどういった仕掛けか、会場中に舞う紙吹雪。萌黄・紅・白・茶。それは紅葉した草木のごとく場内を彩った。
それは香鈴の瞳にも光を灯す。


「きれい……」


しかして紙吹雪が収まった舞台の中央には先ほどの少女達の姿はなく、変わって一振りの刀を持った男が佇んでいた。
彩雲国初代国主蒼玄王。
そして鳴り響いた音色と併せて静々と登場する、蒼遙姫。
彼女の美声が彩雲国の国造りを紡げば、客席は感嘆に満ちた。


「すっげーな」
「……美しいですね」


燕青は口をあんぐりと開けた。
蒼の衣が、彼女の透き通るように白い肌によく映える。
伏せたまつげは麗しく、施された化粧が清楚な色香を与え、ほっそりとした四肢が伸びやかに舞う。
観客は剣舞に心を打たれ、舞う蒼遙姫にため息をつく。
それは流れる水の清らかさ。
宝石の輝き。
空の美しさ。
あるいは春の木漏れ日。
全てを兼ね備えた舞だった。
そして舞台は佳境に差し掛かり舞台上の二人は立ち止まる。
場面は九彩江の妖を鎮め湖へと封じる、最大の見せ場。
舞台中央に腰掛け、二胡を構えた
瞬間、雷に打たれたかのように彼女の身体が硬直する。
しかしすぐさま持ち直し、


我は胡蝶の夢である


壮絶なる創世の音色を奏でた。
そして、世界が色を変える。