きみが囚われたフィルター

そよ風ひとつ吹かない場所で、彼の髪だけふわりと揺れる。
朔洵にそっくりの顔が、無表情に見下していた。そしてテレビのスピーカーを通したような遠さで、声が聞こえる。

『やあ紫仙、何年ぶり? 久しいね』
「あれからどれだけの時が過ぎたと思っている」
『じゃあ百年? それとも二百年? 僕はどちらでも構わないよ』

あはは、あはは、あはは……。
能面を被ったように、表情を動かさないで茶仙は笑う。反響する奇妙な声も不気味さに一役買っていた。
───彼は狂っている。
時の流れに耐えきれず、壊れてしまった。国を築いた彩八仙が一人も、今は茶家に闇を振りまくだけの存在。
だからわたしは躊躇せずに藍龍連の笛を吹く。すると彼は初めてまっすぐわたしを見た。
次いで目を細める。
その瞬間表情に僅かな正気が混じった。

『藍家の「龍笛」か。……蒼遙姫、君が僕を殺すの?』

突然茶仙の姿が変化し、十歳前後の少年に変わる。
驚き身を固くすると、霄太師が肩に手を置いた。
見上げ、無言の激励に首を縦に振る。

「わたしは蒼遙姫ではありません」
『違う、君は彼女だ』
、聞くな」

闇が濃く空間を埋めた。
少年の瞳を覗けば混沌がある。
もう時間がない。
闇を広げぬ為に舞、打倒する為に藍龍蓮から神器まで借りた。
答えはこの空間に来る前に出ている。

───わたしは茶仙を殺す。

龍笛に息を吹き込み、曲を奏でた。
高く、低く。
輪郭が歪む。
苦しげに息をついた。
しかし彼は止めようともせず、ただ見つめていた。
音色はひとりでに葬送曲に変わり、

『……蒼遙姫そこにいるね? 出てきて……僕のために……』

つぶやきと同時に、背筋が凍えた。
冷たい手で心臓を掴まれた感触。身体の中から何かが這い出る。
同時に響いた。

『仕方ない人』

女の声は魂の底から聞こえた。
秋祭りの時と違うのは、外から同時に肉声が聞こえたこと。

「……現れたか」

霄太師がわたしの腕を引く。
意外に厚い胸板に激突した。
当然笛の音は止む……はずだった。けれど音色は鳴り続ける。
顔を上げると、今まで一度たりとも表情を変えなかった茶仙が微笑んでいた。

『蒼遙姫、会いに来てくれたんだね』
『冗談ではありませんわ』

彼と向かい合うのは長身の美女。腰に届くほど長い黒髪と切れ長で理知的な瞳。身にまとうのは縹色の着物だった。
こうして外側から眺めるのは初めて。
彼女が蒼玄王の妹にして縹家の始祖───蒼遙姫。
もうひとりのわたし。