瞼の上ならば憧憬のキス

風がざわめきを運ぶ。
忙しない男達の声がした。方向から考えるに邸門前。
耳をそばだてると───州牧、その言葉が引っかかった。
彼らが茶本家に乗り込んでくる。

「急がねばお前の出番はなくなるぞ」
「ありがとうございました」

ふん、そっぽを向いてしまった霄太師に一礼して走り出す。
茶仙は消えた。
邸を包み込み浸食していた『闇』はもはや跡形もなく。
それは、つまり。

「鴛洵様、安らかに」

彼を人柱にせずにすんだということ。
肩の荷が下りた。これで少しは恩を返すことができただろうか。あの方に報いる事ができたのだろうか。
だけどそれは別の問題が起こることを示唆していた。

「見つけた!」

見知った庭院を駆け、一つの部屋へ飛び込んだ。









□□□











離れの一室で、絵画のごとく男達が賽を振っていた。彼らの前に並ぶのはなみなみと注がれた三十六の酒杯。
朔洵が一つを手に取り飲み干そうしたその時、

「待ちなさい!」

わたしは叫んだ。
よほど目前の会話に集中していたのか、驚いた顔でこちらを振り返る。
けれどそんなことに構っている暇はない。
酒杯を蹴り倒し。
駆け寄って朔洵の顎を掴む。覗き込むと顔色が良いとは言えないだけど、白湯の毒は回っていない様に見えた。
だから無理矢理口を開けさせて、懐から出した茶葉を注ぎ入れる。

「水を持ってきてください!」

駆け込んできたわたしを追って現れた侍女に有無を言わせず指示をだす。そして不審そうな顔で侍女が持ってきた水差しを口に突っ込んだ。

「飲んだわね!?」
「……こんなに不味い甘露茶は生まれて初めて飲んだよ」

そつなく侍女を片手で追い払い。
喉に茶葉がひっかかったのか苦しそうな顔で朔洵が言う。
しかし死の影が消えた。
息をつき肩の力を抜く。
茶仙はもういない。だから死ねば全てが終わりだ。
わたしは朔洵に死んで欲しくない。

、どうしてお前がここに」
「……静蘭」

振り向いて、何故か泣きそうになった。
でも堪える。
どら息子に最後の活を入れなくては。
きりりと見つめて口を開いた。

「朔洵様、秀麗ちゃんに蕾を返してくださいまし」
「……ヤダって言ったら?」
「我が儘言わないの」

猫のような髪の毛を軽く叩いて、立ち上がらせた。
緩やかに波打つそれが目前を流れて。
瞼の上にかすめるような感触がした。
驚いて顔をあげると、

「おおっと、元公子様がお怒りのようだ」

くすりと笑って朔洵は姿を消した。