年下の男の子、年上の女の子

眼前にはどこまでもまっすぐ続く道があり、振り仰げば箱根の山々が見える。
気楽なプチ一人旅。暢気にレンタサイクルの電動自転車を漕いでいたはずだったのに、あっという間に日が暮れてしまった。
ビュウっと生暖かい風が吹く。
先ほどまで汗ばむくらいだったのに、今は肌寒い。
梢が薄気味悪い音を立てた。
どうして迷子になんてなってるんだろう。
だって軽いサイクリングのつもりだった。小田原に住み始めて早一年、そういえば箱根って近いのに案外行かないよねと思い立っての一人旅行。友人からは傷心旅行!? と心配されてしまったけど違う。
箱根湯本に降り立ち、登山鉄道で強羅へ。美味しい豆腐カツ丼でエネルギーを補充しロープウェイから景色を一望して、硫黄の匂いを嗅ぎながら芦ノ湖畔へ。宿に荷物を置いて、適当なバスを乗り継ぎ、目に付いたバス停に下りた。そうしてレンタサイクルで電動自転車を借り、青空の下走り出す。
夕暮れ時が近いのはわかっていたので、すぐに戻ってくるつもりだった。けれどぐんぐん進む電動自転車と清々しい風が気持ち良くて、進みすぎてしまった。
閑散期とはいえ観光地、すれ違う人もそれなりにいたし車通りもそこそこある。それが油断の元だった。
──道に迷った。
久しぶりに自分が方向音痴であることを思い出す。
足を止めて周りを見回した。つい先ほどまで気持ちが良かった山の景色も、影がかかって不安を煽った。
胸に手を当てて深呼吸をする。けれど不安に心臓が高鳴って止まらない。
荷物から地図を出して必死に現在地を探した。手にかいた汗で地図が滑り、震えで小刻みに揺れる。でもどこにいつのかすらわからなかった。そんなことをしているうちに日が完全に暮れてしまい、地図を読むことすら出来なくなる。

「……どうしよう」

誰か通ったら教えてもらおうと構えていたのに、通行人どころか車さえ通ってくれない。
泣きそうだ。でも溢れ出す前に堪える。
いい年した女が道に迷ったくらいで泣くなんておかしい。でも頭の中は、どうしようという言葉だけが回って焦りが募った。なんとか電灯の近くまで自転車を転がし、再び地図と向き合う。だけどさっぱりわからない。
道に迷って死ぬ。恐怖に今度こそ涙が零れかけた。
その時、車道側から風を切る音がする。
素早く通り過ぎる影に慌てて叫んだ。

「待って!!」

けれど無情にもバイクは弾丸のごとく通り過ぎてしまった。そのあまりのスピードに目を見張る。エンジン音がしないことをおかしいと思う暇もない。
すると堪えていた涙が溢れて止まらなくなった。慌てて手の平で拭うと頭上から声が聞こえる。その低く震えるような美声に肩が震えた。

「大丈夫ですか?」
「……っ!?」

息が止まるかと思った。
顔を上げると、電灯に照らされて少年の姿が浮かび上がる。彼は競技用自転車に跨がり、同じく競技用らしきヘルメットをかぶりこちらを真っ直ぐ見つめていた。
数秒の間の後それが先ほど通り過ぎた影だと気づく。バイクだと思っていたそれは自転車だったのだ。

「あの?」

胸の奥が震えるような声にほんのりときめき、正気に戻る。私はこんな若い子に対して何を考えているんだ。捕まってしまう。

「あ、ごめんなさい。……えっと」

咄嗟のことに言葉が空回りする。うまく頭と口が回らない。すると彼は後ポケットをゴソゴソ探りお菓子の包みを取り出した。

「食べますか? 落ち着きますよ」
「えっと、ありがとう?」

つい受け取る。未開封だったし、変な人にも見えない。見覚えない包装に首を傾げつつも封を切って口に運ぶ。

「……ん?」

眉を顰める。それはなんとも言えない味だった。まずくはないけど甘くねちゃねちゃしていて一口でお腹いっぱいになる。でもせっかくの好意だしと、もう一口食べてからお礼を言った。残りは包み直して鞄に入れる。

「ご馳走様。私が声を掛けたから戻ってきてくれたんだよね? ごめんね、でもありがとうございます」

頭を下げると、爽やかに微笑まれた。将来有望な少年だなと見惚れる。こんな子が自分の学生時代にいたら間違いなくファンクラブに入っていただろう。

「気にしないでください。迷子ですか?」
「お恥ずかしいですが、そうなんです。地図の……このレンタサイクル屋さんまではどう戻ればいいでしょうか……?」

地図を広げて店の名前を告げる。すると彼は軽く頷いた。

「案内しますよ」
「でもその自転車競技用みたいだし練習中、とかですよね? それとも家に帰る途中? もうだいぶ暗いし帰らないと親御さんが心配しますよ」
「オレ、寮生なので。規則もあまり厳しくないし友人に電話を入れておけば大丈夫ですよ」
「あー! 電話っ!!」

その言葉で、携帯電話の存在を思い出した。私は馬鹿なのだろうか。どうして今の今まで思い出さなかったのだろう。赤くなったり青くなったりしていると、ぷっ吹き出す声が聞こえた。

「笑わなくてもいいのに」

くちびるを尖らせると、ごめんなさいと謝られた。
次いで少年は年齢に似合わない事言う。

「すいません、あまりに可愛くて」
「可愛い!?」

それって年下の男の子が成人してる女に言う事じゃない! この子タラシか!? もう少し年齢近かったらナンパ男として警戒しているところだ。末恐ろしい。その分厚いくちびるはセクシー担当か? お姉さんちょっと怖くなってきたぞ。
高校生かなと思ったけどやはり高校生だった。少し残念。大学生くらいだったらギリギリ射程範囲内だったのに。しかもピカピカの一年生。さすがにここまで年下だと恋愛対象にかすりもしない。
道を自転車で先導してもらいがてら雑談をした。彼──新開隼人君は、自転車競技の強豪で有名な箱根学園の一年生なのだそうだ。その個人練習中に私と出くわしたらしい。この辺りは夜になると人通りがなくなるそうだ。
改めて、迷惑かけてごめんねと謝ると、「いいえ、綺麗なお姉さんと知り合えてラッキーですよ」とウィンクしてきた。初対面の相手にそれはないわ、と突っ込むと、「可愛いがダメなら綺麗ならいいかなって思いました」と爽やかに微笑まれた。
つい呆れた声で突っ込んでしまう。

「それ同世代の子にやったら勘違いされるから気をつけた方がいいよ」
忠告すると、にっこり笑いながら手を降られた。
「やりませんから」
「……はぁ」

つまり私が見るからに恋愛対象外の年齢だから冗談を言ってきたってことか。
レンタサイクルの前で改めてお礼を言って、連絡先を聞く。後日ちゃんとお詫びをすると頭を下げると、元気よく、「はい!」と返事をされた。うん、若さが溢れていて良し。
これは美味しい物でもたべさせてあげないといけないな。
そうして別れを告げお財布の中身を心配しながら、宿へ向かうバスに乗り込んだ。