年下の男の子、年上の女の子

赤く燻る炭と焦げた網、その上でジュウジュウと音を立てて焼き上がる肉。
それを頬張る姿に目が釘付けになった。

「ん?」

厚いくちびるがニッと笑みの形につり上がり、垂れた瞳がますます弧を描く。
うっかり見とれていたことに気づき、内心を隠すために大人の余裕を意識しながら微笑みを浮かべた。

「安いお店でごめんね」

日本全国どこにでもある安価な焼き肉店。
一人暮らしOLにはここら辺が妥協のしどころだった。
引け目を感じて謝ると、彼は満面の笑みでカルビを頬張る。

「肉は質より量だろ……です。ウマイし……あー、美味しいですし」

ハムスターのように頬に肉を詰めながら言う。
変な敬語に思わず吹き出した。

「いいよ、普通に話して」
「そりゃ助かる」

ほぐれた空気に、先ほどから気になっていたことを聞く。

「それにしても君、お肉ばかり食べ過ぎじゃない? それ自体は構わないけど野菜も食べなさいよ」

年上ぶって説教すると、厚いくちびるを尖らせ、「ヒュウ」と口笛を吹く。だから誤魔化されないよと追撃すると、しぶしぶサンチュを手に取った。

「そういうおめさんこそ、さっきから米ばっか食いすぎじゃねえか?」
「お米じゃありません、石焼きビビンバです。焼肉屋さんに来たら石焼きビビンバをお腹いっぱい食べるべしって決まりがあるのよ」
「ねえよ」

冷静なつっこみに今度は私がくちびるを尖らせた。

「あるもーん」

ピーヒャララとやっていると、思い切り笑われた。
私は身を乗り出して抗議する。

「君は年下のくせに生意気だよ」
「おめさんが年上らしくないだけだろ。それからあんまり前のめりになると焦げるぜ」

確かに七輪が熱かったので座り直す。そうして目と目を見交わして睨み合った。
炭がバチリと爆ぜる。 次いで同時に吹き出した。
新開君おもしろい。けれど力関係ははっきりさせなければ! なんと言っても私は年上だ。
復讐のために彼が大事に育てていたカルビ肉を奪い取り、サンチュで巻いて食べる。新鮮な葉野菜の歯ごたえと脂ののった肉のコンビネーションに舌鼓を打った。

「おいしい♥」
「食ったな……」
「ふふん」

鼻で笑う。すると何を思ったのか妙な口上を歌い上げた。

「箱根に鬼が出るって知ってるか?」

次いで凄まじい箸裁きで網の上に肉を乗せる。さらに火力を上げ一気にひっくり返した。肉の脂が炭に落ち、上がった炎に顔を背ける。
炎と煙の向こうに鬼のシルエットが浮かび上がったような気がした。

「勝負あったね」

炎が収まり、煙が換気扇に吸い込まれ視界が晴れる。慌てて網を見るとそこには一枚の肉も残っておらず、お皿の上には山盛りの焼肉。
彼のドヤ顔にむぅっと頬を膨らませた。

「いいもん、私には愛しのビビンバ君がいるし」
「一枚食べる?」
「食べない! 店員さーん、ロース肉二人前追加お願いします。あとバナナアイスください」
「シメには早くないか?」
「大丈夫! 甘い物を食べたらお肉に戻るから」

ニコニコしながらメニューを閉じると、私の手ごと奪われた。
こいつ私の手を焼肉にするつもりかっ。

「じゃあオレはチョコアイスください」

その注文に、チョコも捨てがたかった……! と呟くと、「じゃあ半分こな」と爽やかに微笑まれた。
この子怖いなぁと考えながら掴まれた手を解く。

「そういえば君は兄弟とかいるの?」
「なんで?」
「妹とかいそうだなって」
「おめさんは兄さんがいそうだよな」
「どうしてわかるの?」

年の離れた兄の存在を当てられたことに驚く。
すると、「子供っぽいから」と心外な事を指摘された。

「社会人に向けて失礼な」

彼はクスリと笑った。

「そういうところ。最初は妖精みたいに綺麗な女の人だと思ったのに口開くと全然印象が違うだろ」
「妖精?」

ついうろんな瞳で見つめてしまう。
ため息をついて、バナナアイスを口に運んだ。その冷たさに口をすぼめる。

「君はモテそうだよね。刺されないように気をつけなさい」
「ヒュウ、そういう反応は初めてだな」
「当たり前の心配をしてあげたまでよ。まさか学校でも女の子にこんなこと言ってるの? だったらほどほどにしておかないと本命が出来たときに本気にしてもらえなくなるよ」

すると一転して真面目な顔になった新開君。

「……本命……本命か」
「ん? もしかして彼女いるの? じゃあ私とご飯食べるのとかまずくない? あ、でも今日はお礼だしもし揉めるようなら私からその人に説明しても……」
「そんなのいねエし。そうじゃなくって中学の時からロードレーサー一本だったから本命って言われてもピンと来ないだけだよ」

意外な発言に数回まばたきをする。
改めて彼の顔をとっくり眺めた。さらさらの赤茶色の髪と大きく垂れた瞳に厚いくちびる。ひょろりとした印象があるが、さすが体育会系年の割に鍛えられた身体をしていた。まだ『可愛い』印象が強いが、あと二三年もすれば甘いマスクのいい男になるだろう。
これで女の子に興味がない。

「えーもったいない!」
「おめさんから見てオレはいい男に見えるかい?」

バチンとウィンク。
それを片手で払ってため息をつく。

「私達、いくつ離れてると思ってるの。……でも将来はいい男になりそうだよね。うんお姉さんが保証する!」

新開君のチョコアイスにスプーンを伸ばし、一口もらう。すると彼は肩を落とし、口の中でブツブツと呟いた。

「何か言った?」
「別に」

不服そうな表情を浮かべたので、子供扱いしすぎたかとフォローする。けれどすぐさま笑顔に戻り、私のアイスにスプーンを伸ばしてきた。

「おめさんバナナ好きか?」
「うんバナナ好き。でもチョコ味も好きだよ」
「……もう一度バナナ好きって言ってみてもらえるか?」
「バナナ好きだよ。それがどうしたの」

変な笑顔で固まる彼。
妙な間に眉根を寄せた。

「何でもねえ」
「うん? ところでロードと言えば今更だけど新開クンって箱学の自転車競技部なんだよね」
「……なあ今の新開クンってのもう一度」
「え、君は同じ事を何度言わせれば気が済むの?」
「お願いします」
「新開クン」
「おう」

良い笑顔でサムズアップされた。
すごく可愛い。
だから私はさりげなく目をそらすことにした。

「えーと、それで箱学なんだよね。実は職場に箱学の卒業生がいて」
「ヒュウ、自転車競技部のOBかい?」

首を横に振る。

「ううん、部活は違うって。でも自転車競技部のことはよく知ってたよ。箱学って強豪校なんでしょ? しんか……君も自転車早いの?」

問いかけると、がっかりされた。けれどすぐに顔を上げる。

「こう見えても中学の頃から直線はちょっとしたもんなんだぜ」
「レギュラーとか?」
「来年は必ずとるさ」
「じゃあ仕事が休みだったら応援に行こうかな」

冗談のつもりで呟くと、朝靄が晴れる瞬間みたいな顔で微笑まれた。

「約束な」
「おっけー」

今更冗談だったとも言えず、石焼きビビンバを咀嚼しながら頷く。
その後焼肉を食べながら、中学からの付き合いの福富君、山神を自称する東堂君、元ヤンの荒北君、たくさんの部員達の話を聞いた。自転車のことを話しているときの新開君は生き生きして、改めてもう少し年が近ければなぁと思う。でも仕方のないことだ。

「じゃあね」
「ご馳走様でした」

最後だけ行儀の良い彼に小さく笑う。インターハイ観戦の約束をしたけど、多分もう合うこともないんだろう。
心にすきま風が吹く。
けれど無理矢理感傷を散らし、電車に揺られた。
しかし家に帰り着き携帯を開くと、

『次はバナナパフェ食べに行こうぜ』

メールの着信。
ベッドに寝転んで、自分の煙臭さに辟易する。にやつく口元を抑えて、半回転して返事を打った。

『今度は君のおごりだよ。なーんてね』

携帯を折りたたみ、枕に顔を埋めた。