平和島家の長女


俺は人が好きだ、愛してる。
誰か、なんて小さな愛じゃない。人という存在そのものを愛していた。世界は今日も悲劇、喜劇、ごちゃまぜにして。
俺の掌の上で踊る。





中学までは一度も疑わなかった。世界は掌の上にあって、描いたシナリオ通り進行していく───現実は全て虚構で俺の見ている夢なのかもしれない。だとしたら登場人物を生かすも殺すも造物主の自由、だよね?
それにヒビを入れたのは、人類を愛してる俺にとって唯一の例外。
平和島静雄。
あいつは人間じゃなくて化け物だ。死ねば良いのに。思って計略を重ねたけれど、毎回思ってもみない方法で打ち破られた。
腹立たしい。考えるだけでムカついてきた。
さらに同時期に出会った二人。
一人目は獅子崎先輩。彼は絵に描いたような正義の味方だった。最初は思った通りに行動するのがおもしろかったけど、最近は予想通りすぎてつまらない。……説教好きでいちいち俺を捕まえては反省を促すのも気に入らなかった。
そして彼女。前者の二人と深いつながりを持つ女は静雄の姉で獅子崎先輩の恋人。
彼女は異様に喧嘩が強かった。
それは上記の二人の中間を突き抜けたような妙な存在で。
あれは静雄と知り合って殺し合いをした翌日。
彼女はなんの前触れもなく空から降ってきた。

「おーりーはぁらぁっ!!」

頭上から聞こえた喜色混じりの叫び声。
次の瞬間右側頭部スレスレを強風が凪いだ。
反射的に左方向に飛ぶ。
コンクリートが弾ける音が足下から聞こえた。
どうやったらローファーで地面が砕けるんだ!?

「折原、でしょ?」

間違っていたらどうするつもりだったのか。
しかし顔をあげた瞬間時が止まった。
制服姿の少女。
肩口を胡桃色の髪が流れ落ち、赤いくちびるが避けるように笑った。次いで女子とは思えない力が強引に引き寄せる。
透けるように白い肌が目前に迫った。

「先輩に返事もできないわけ?」
「僕は確かに折原ですが人違いでは、知らない方にこんなことをされるいわれはありませんよ」

人好きすると自覚している笑顔で答えた。
すると胸ぐらを掴む力が緩んで、花のような微笑み。
心臓が高鳴った。
バカバカしい。
再び胸ぐらを掴まれた。

「平和島って言ったらわかる?」
「へぇ……じゃあシズちゃんの」
「そ、姉」

言って太陽みたいに笑った。
以来彼女はなぜか俺にちょっかいをかけ続けた。
夏はスイカで頭をかち割られかけ、秋は月見団子で窒息しかける。クリスマス前々日はミニスカサンタで家の扉を蹴破った。そして何故か妹たちにプレゼントを配って帰った。……俺の分は?バレンタインは激熱のチョコレートを背中に流し込まれたせいで火傷した。
本当に最悪だ。
人生で二番目に最悪の出会いは?と聞かれたら彼女の名前を即答する。だが不本意なことに俺と彼女は周囲からそれなりに仲のよい間柄と見られていたようだ。

しかし高校二年の冬、決定的に断絶する。

校舎裏で姉弟を見かけた。何かからかいのネタでもないかと静かに近づき、不機嫌そうな静雄の問いかけに聞き耳をたてる。

「姉ちゃん、なんであいつに関わんだよ?」

折原臨也。
俺の名前。
耳をそば立てた。
すると彼女は満面の笑顔で、

「ストレス解消」

そのあと小さな声で何事かつぶやき、笑い声をあげた。








かくして俺は企む。
説教好きな正義の味方をはめる為の計画。
それは成功し獅子崎先輩は近隣の高校の番長と一騎打ちを果たし、入院した。そこに彼女が関わっていたのも計画のうち。
俺は彼女を傷つけた。傷つけてやった。
そして入院から一週間後、雨の校舎裏。
二人きりで立ち尽くす。
泥水が跳ねて制服の裾を汚す。喧噪が遠く聞こえた。
俺は薄く笑った。

「……折原」
「先輩から呼び出しだなんて珍しいですね。怖い顔してどうしたんです?」

澄まして問いかける。
すると濡れた顔が壮絶に歪み、修羅の形相が睨んだ。

「獅子崎君が、入院した」
「へぇ……そういえば全治一ヶ月でしたっけ? もう側についてなくて大丈夫なんですか?」
「あんたが焚き付けたんでしょ!?」
「証拠があるんですか」

笑った。
笑った。
嗤った。
すると彼女は下を向き、つぶやいた。
前髪で表情が見えない。
雨滴が伝い落ちた。

「獅子崎くんとは別れた、だからもう彼を巻き込むな」
「……はぁ? なに言ってるんですか、さっきから言ってるように俺には……」
「ふざけんな!!」

胸ぐらを捕まれ、背中をコンクリートの塀に叩きつけられた。前髪の陰から漆黒の瞳が射ぬく。
背筋が痺れた。

「私がそこまで馬鹿だと思ってるの? 折原は、いいやつじゃないけどそこまで悪くもないと思ってた。あんたは人を騙すし変なことばっかり計画するし。静雄を怒らせるし、だけど……」

言いよどんで、くちびるをかんだ。
だから俺は冷ややかに言い捨てる。

「先輩に見る目がなかったんでしょ」

頬に衝撃が走った。
気づけば水たまりに突っ伏していた。
見上げる。

「……大っ嫌い!!」

雨粒が涙に見えた。
そして彼女は背を向ける。
駆けて。
遠くなる。
どしゃぶり雨の中、ずっと遠い足音を聞いていた。
雨音に紛れて囁く。

「嫌われた方がましだよ……」

ただの後輩なんて絶対に嫌だ。

雨は降り続いて。
あの日できた溝は埋まらず。
世界は隔絶した。