平和島家の長女
私は獅子崎君のことが好きだ。
付き合いはじめて一年以上過ぎたけど、想いは薄れるどころか、日々増している。
でも気づいていた。
獅子崎君が好きなのは「無理して可愛い子ぶってる平和島」であって私じゃない。
だけど止めるつもりなど毛頭ない。
好きだから相手にも好きになって欲しい。
思っただけだった。
心と関係は朗らかに歪み続け───ある日、折原の話を聞いた。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「なにアレ?」
弟がリビングで俯き加減に物騒なことを呟いていた。
幽に問い掛ける。すると冷蔵庫から牛乳瓶を取りだすポーズのまま答えた。
「……兄さん昨日ダンプに跳ねられたんだ」
無機質な表情に浮かんだ苛立ち。「あんたまで怒ってもしょうがないでしょ」軽く頭を小突き、静雄に向き合った。
「怪我は?」
「あぁ? ねーよっ」
怒りに瞳が揺れる。全身を焦がす灼熱。
それを眺め、私は幽に渡された牛乳瓶を頬にぺとりと当てた。
「ひゃぁっ、て、てめぇ!?」
「いいから飲め」
手前呼ばわりしたことをシメるのはまた今度。頭をガシガシと掻き受け取る姿を見つめた。
「ああ、もう分かってるよ!!」
一気に飲み干しテーブルにつっぷした。
呟く。
「気に食わないやつがいんだよ」
「名前は?」
「……折原臨也」
聞き覚えある名前に合点がいった。
「折原ってあの折原?」
「姉さん知ってるの?」
幽に答えた。
「小耳に挟んだ程度だけどね。後輩がはめられたらしい。かなり頭キレる困ったやつって印象?」
「困っただぁ? あいつはそんな可愛らしいもんじゃねぇ、ノミ蟲で十分だ」
牛乳では足りなかったか。
歩み寄り、激昂する弟の頭を手荒に撫でながら考える。ついでに幽が寂しそうな顔をしたので反対の手で撫でておいた。
「明日話してみる」
左右からの「止めろ」は無視した。
そしてわかったことは一つ。
『こいつ静雄とベクトル逆の馬鹿だ』
変だし、性格悪いし、世の中に、なにより弟にとって有害だと思う。だが不思議と嫌いではない。……静雄に余計なことするのはムカつくが。
でもいじめるとおもしろい。
そんな軽い気持ちが始まり。
そして一年が過ぎ、二つの破局が訪れた。
□□□
高校三年の冬、獅子崎君が大けがをした。
私のせいで。
なのに純白の空間で最初に告げたのは謝罪。
「まで巻き込んでごめん」
手足に巻かれた包帯。腫れがひかない秀麗な目元。
集中治療室の前で夜を明かした。彼の妹に頬を張られたけれど怒りを感じない。
ただ後悔した。
「……別れましょう」
包帯の巻かれた手が強く。
「どうして? 俺のこと嫌いになった?」
「……獅子崎君は幻滅したでしょ?」
もっと早く私が可愛い子ぶるのをやめればよかった。
あるいは最後まで力を出すべきじゃなかった。
彼が大切に守って来たもの全て壊してしまった。
だから引き止める言葉に頭を振って、病室に背を向けた。
□□□
雨の日、校舎裏で折原と向かいあう。冷めた笑みを浮かべた後輩が昨日までと別人に見えた。
自分が情けなかった。
計画したのは折原でも、獅子崎君に辛い思いをさせたのは私だ。
こんなことをしても何の意味もない。だけど言葉と暴力が止まらなかった。
「……大っ嫌い!!」
頬を腫らして水溜まりに寝転ぶ彼を睨んで、立ち去る。
本当に嫌いなのは彼ではなく自分なのに。
雨の中を歩いた。大粒の雨は身体を芯まで冷やす。正門を通り過ぎ、繁華街を抜けて。素肌に張り付く制服を眺め、明日は風邪かなと妙に冷静な頭で考えた。
そして南池袋公園前に差し掛かった瞬間、声に立ち止まる。
「おい?」
またナンパかと無言で拳を振り上げる。
すると、
「待て待て、俺だ俺」
聞き覚えのある声に顔をあげた。
「……先輩?」
「よ、久しぶり。なにやってんだ。こんなびしょ濡れで」
差し掛けられた傘をぼぅっと眺めて、名前を呼んだ。
「田中先輩」
雨音が頭上で踊る。
眉を潜めて問い掛けた。
「なんでこんな場所にいるの?」
「なんでってお前……なんでだろうな……に会うためだったりして、なーんてな」
冗談めかした呟きは一瞬で身体にしみ込んだ。
甘い毒。
言葉がくちびるから溢れた。
「……先輩、助けて」
一際大きな音を立て降り注ぐ。
腕が伸びて引き寄せた。
広い胸が抱き留めて、
───瞳を閉じた。