平和島家の長女

工務店の作業員達が帰った後、彼は一人作業に勤しんでいた。
と言ってもメインは既に完了し、細かな仕上げが残るのみ。

「京平ちゃんは親父さんに似て真面目だよなぁ」

言葉に笑って見送った。
そして、

「日本に戻ってくるんだな……」

作業の手を止め、過去に思いを馳せた。
家族に大怪我を負わせた実行犯達を追いかけ、日本を飛び出した獅子崎先輩。
男気に溢れ後輩のみならず同級生、先輩におけるまで一目置かれる存在だった。
正義の味方。
そんな言葉がぴったりとくる人だった。
彼がついに帰ってくる。
門田は夜空を仰いだ。

「あの人はまだ……」

感傷を慌てて打ち消す。
でもまぶたの裏に濃く焼き付いた。

「門田」

自信満々の笑顔。
やや小ぶりな胸を張って、思い出はいつも鮮やかに。走馬灯のように蘇る思い出に、頬を掻いた。
最初はそう、中学に入学してしばらく。噂を聞いた。

「女の癖に」
「化け物の姉」
「弟に泣きついてるだけじゃねぇの?」

平和島
女だてらにむやみやたらと強く、小学生にして多数の舎弟を従えていたという噂だ。
正直───信じられなかった。
それは他のやつらも同じだったらしい。彼らは直情的な手段に出た。
校舎裏に騙して呼び出す。
門田はその言葉を耳にした瞬間駆け出した。それをやったら自分がどうなるとか、もめ事に巻き込まれるかも知れない、そんなことを考える前に行動していまうのだ。
かくして彼は出会った。
死屍累々の山。うち一人の胸倉を掴んで揺さぶる女子生徒の姿を呆然と眺めた。

「ずいぶん面白いことしてくれるじゃない? 文句があるなら言いなよ、ほら」
「ご、ごめんなしゃい、ゆるして」
「ああ?」

戦女神と呼ぶには少々ガラが悪い。
赤いリボンとセーラー服の裾を翻して、片手で男を宙づりにした。

「男がみっともない真似してんじゃねぇよ」

ガクガクと揺さぶると男が失神した。
ため息をついて投げ捨てる。
次いでボロ布の固まりから、一人が這いずり逃げ出した。

「化け物っ」

吐き捨てる。
その時だ。
「化け物」という言葉に数秒きょとんとした表情をして。
次いで蕾が綻ぶように微笑んだ。
瞬間、急激に高鳴り出した心臓。
初めての経験に戸惑った。
しかし門田は足を踏み出す。そして、「あんたは?」問い掛けに答えた。





日々は過ぎ行く。
平和島にとって門田京平は慕う後輩の一人にすぎないこと知っていた。

「門田」

でも快活に笑う。
彼は笑顔に見とれた。
そして表面上突き放すことの多い弟を、本当はとても大切に思っている。
外面だけに惚れたわけじゃない。内面だけに惚れたわけじゃない。

「静雄は馬鹿だからさ……あんたみたいなやつが仲良くしてくれると心強いよ」

浮かべた照れ笑い。次いで肩を数回叩く。
仕種の全てに惹かれた。
けれど彼女は近くて遠い。
中学生で、年下で。自分の感情をどう伝えたらいいのか知らなかった。
そんなある日の下校途中。
ファミレスで年上と思しき男と楽しげにお茶を飲む姿を見かけた。門田に見せたことのない甘えをにじませた表情。
どれくらい見つめていたのだろう。彼女が気づき、視線が合った。
慌てて逸らして立ち去る。

そして彼女に一年遅れ、高校に入学した。しかしそこにはかつての強い先輩はいなかった。
彼氏ができてやけに可愛くなった彼女がいた。
空虚を感じる。
だけど親しい後輩の一人としてそばにいた。
今思えば諦めが良過ぎた。それによってもっと大きな後悔をすることになる。
あの運命の日。
後悔を知った雨。
彼は校舎裏から飛び出してきた影にぶつかった。
取り落とした傘。
揺らいだ身体。
素肌に張り付いた制服。
細かな情景は今でも覚えているのに彼女の表情だけが、思い出せない。
信じられないほどか細い声がした。

「……門田?」
……先輩」

数瞬見つめ合って、駆け去る後ろ姿を見送った。
見送ってしまった。

「なんであん時追いかけなかったんだろな」

主の帰宅を待つ邸宅を見上げ、嘆息した。
獅子崎先輩が帰ってくる。
では彼女は?
静雄曰く、

「姉ちゃんはグロなんとかって島に行った」

キレかけたので、詳しくは聞き出せなかった。





門田京平は常に自分の信念と信条に従い生きてきた。
だけど彼女のことだけ後悔で満たされる。
修復途中の家をもう一度見上げて呟いた。

「今度会ったら」

目を閉じた。
彼女の笑顔が浮かぶ。

「すいません、工事の方ですよね。ここは……あれ?」

思い出から聞こえてくる、懐かしい声。

「門田ぁ!?」

現実から響いた事に気づいて、振り向いた。
思ったより至近距離にある顔に心拍数が上昇する。でも情けない中坊の頃とは違う。
耳元で揺れる髪が視界を埋めた。夜空の星みたいに輝く瞳。すらりと伸びた四肢。
忘れる筈もない。

、先輩?」
「やっぱり門田じゃん、久しぶり。びっくりした! ってなにぼーとしてんのさ。大恩ある先輩と会えたんだからもっと嬉しそうな顔しなよ」

言って快活に笑った。
それを見て無意識に、

「ずっと好きでした。今も好きです。俺と付き合ってください」

彼は言った。












「はぁ!?」

答えた彼女は仰け反り、顔を真っ赤に染める。
以前と寸分も変わらない愛らしさと磨かれた美しさに、彼は手を伸ばした。