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凍原に咲く雪花

深海の眠り姫

高い理想から生み出された政治体制も、長い年月はそれは腐敗させる。しかしその汚泥は自浄作用により、打ち倒されるのが定石。古きが滅び新しき実がなることによって弱き民は守られるのだ。
だがこの国は蒼玄の血の盟約に縛られ、腐りきってしまった。
変えられるのは彼の血を受け継ぎしもののみ。

「だから俺が変える」

少年は年嵩に似合わぬ鋭い目つきで庭院の池を睨んだ。傍らで頷く彼より少し年上の少女はきりりとした顔に笑みを浮かべ、頷く。
まるで神話の一節のように輝いていたその時間。
しかしひとつのくしゃみによって破られる。

「誰だ!?」

誰何の声と共に岩陰から現れたのは、漆を流したように真っ黒な髪と瞳を持つ少女。年は彼らよりすこし上だろうか。ほっそりとした四肢に美麗な薄藍色の衣を纏う少女。
戩華は彼女の正体に気づき、鼻を鳴らした。

「ふん、縹家のみそっかすか」
「……戩華……」

鬼姫は戩華の言葉に眉をひそめ、彼の袖を引いた。
しかしそれに対し、薄藍の少女は怒るどころか楽しげに笑い、二人に近づく。

「初めまして、皇子様とお姫様。 わたくしは冬姫。 みそっかすはあんまりだから名前で呼んでくださるとうれしいわ」

ふわり、と長い髪が広がり流れる様な仕草で一礼した。
戩華その警戒心の薄さに飽きれたようなため息をつく。

「お前、なぜここにいる?」

しかし冬姫は答えず、屈んで戩華と視線を合わせる。「王家は美形が多いというのは本当だったのですね」と呟き、次いで鬼姫の瞳を覗き込んだ。

「おい!」
「でもこんな場所でそんなお話をするのは、すこし軽卒だと思いますの……」

そんな話とは、「現王家」つまり父親を打ち倒すと言う誓いを聞いていたことに他ならない。戩華は今度こそはっきりと舌打ちをし、鬼姫は飛び退き身を屈めた。
冬姫はそんな二人に目を丸くし、こくんと首を傾げる。

「だからわたくしの宮にいらっしゃらない? お姉様が美味しいお菓子を送って来てくださったの。 危ないお話がしたいならそこでなさればいいわ」
「……俺たちに味方するということか……それが縹家の総意だとでも……?」

警戒心を剥き出しに睨む瞳に、まつげをぱちぱちとはためかせた。

「さあ? 本家の意思はわからないけどわたくしがこの場所でどんなお友達を作ろうとも干渉される謂れはないわ」

きっぱりと言い切った冬姫に戩華は絶句した。
そして転がり落ちる鞠のごとく、お友達第一号に認定された戩華はこの先一年、彼女に振り回され続けることになる。

「微笑ましい」

とは彼の幼なじみの言。

「恐ろしい」

とは恐いもの見たさで覗いてしまった、彼女の弟が漏らした言葉。
それは戩華が生まれてはじめて「子供」として過ごしたとき。一年間という短い休息。

「おほほほ、わたくしを捕まえてごらんなさーい」
「待てこの野郎!!」

しかし幸福な時は長くは続かず、終わりは唐突にやってきた。
冬という名の幸は去りゆき。

「いつかあいつを取り戻す」
「ええ」

戩華と鬼姫が交わした二度目の誓い。より強固で切実な願い。それは長い時の末、彩雲国に激震を走らせ。
でも、誓いは永遠に果たされない。二人が迎えに行った時、冬姫はいなくなっていたから。
───もう、この世界のどこにも彼女はいない。