年下の男の子、年上の女の子

*R15





ベッドにうつぶせに寝転び、髪をかき上げながら携帯電話を開いた。
日は高く昇りきりあとは薄暗くなるのを待つだけ。簡単な掃除と洗濯はしたけど、日がな一日ゴロゴロしてしまった。こんなことならレースを見に行けば良かったかなと考える。
親指でメール受信箱を辿り、彼のメッセージを開いた。
珍しく来た見に来ないかという誘いに思考を巡らせる。インターハイ直前の大事な試合だから、という言葉に心が揺れた。
ボフっと枕に顔を埋め、両足を交互に揺らす。
会場も遠くないし、物理的には観戦できた。
でも行けない。
新開君と出会ってもう一年。
まだ一年。
ピカピカの高校一年生だった彼は、春に二年に進級した。
でも高校生、まだ未成年。
笑った顔が格好良くて、ご飯を食べている姿が幸せそうで、私が料理が苦手なことを知ると一緒に作ってくれるようになった。月に一回くらい自転車でやってきて、二人でスーパーに買い物に行って並んで料理をする。
室内用ロードレーサー立てまで買ってしまった。
優衣に、完全に新婚さんじゃないとからかわれた。その場では違う! と否定したけれど客観的に見てそれっぽいのは否定できない。
しかし相手は高校生だ。

「いくつ違うと思ってるのさ……」

携帯の待ち受け画面を眺めて涙目になる。ロードレーサーの前で獲物を撃ち落とすポーズを取った姿が眩しくて、胸が高鳴った。身体を丸めて布団の中でうごめく。

「どうしたらいいのよ」

独り言を呟いて、携帯を閉じる。
彼が小学一年生の時私は中学生で、彼が中学生の頃私は成人を迎えた。
携帯を放り投げ枕を後頭部に当ててベッドに沈む。

「はぁ」

こんな状態でレースなんて見に行けるはずがない。
行ったら最後、気持ちが止められなくなる。
だけど新開君からメールが来ると嬉しい。来ないと切ない。今もレースの結果を待っていた。
ほんのり心に影が落ちた。
このレースが終われば真夏──インターハイの季節が始まる。レギュラーに選ばれたらもっと忙しくなるだろう。
本当は一ヶ月に一回なんてヤダ。もっと会いたい。近くにいて欲しい。だけど言えなかった。それどころかそう思っていることを悟らせる言動さえできない。
でもそれは意地っ張りとかじゃなくて、

「彼女でもないのに文句なんて言えるわけないし、それに……」

好かれているか嫌われているかという選択肢なら間違いなく前者だろう。しかしイコール恋愛感情と信じられないくらい私達には年の差があった。
それでも、

「メールまだかなぁ」

待ってしまう。
自分からできないから、ずっと。
時計を見て、遅いなぁと呟いた。メールしている余裕がないのだろうか。それとも行かなかったことを怒っているのか。
眉間に皺を寄せて液晶を睨んでいると、チャイムの音が響いた。起き上がりながら下着を着けているのを確認して、玄関に向かう。ロードレーサーの縦置きスタンドを避けて扉に歩み寄り、覗き穴から様子をうかがった。
そして見えた赤毛に鍵を開く。

「どうしたの!?」

いるはずのない人の姿に、目が丸くなった。
しかもレースからそのまま返ってきたような格好をしている。ヘルメットをかぶったまま片手で愛車サーヴェロを押さえ、反対の手で段ボール箱を大事そうに抱えている。
しかもは珍しい無表情に戸惑った。覗きこみ地面を見つめたまま動かない肩を叩く。

「新開君?」
「……あ」

何故か驚いた顔をして、後ずさる。倒れそうになったロードレーサーを支えながら頬に触れた。

「何か食べる?」
「……食う」

弱々しい反応に眉根をしかめる。けれど黙って自転車を室内のスタンドに立てて、腕を引いた。次いで段ボール箱を指す。

「これは?」
「……うさぎ」
「は!?」

すっとんきょんな声を上げてしまった。

「なんでうさぎ!?」
「……拾った」

覇気のない答えに、口をつぐむ。箱の中から聞こえた物音にまばたきをした。

「うん……よくわからないけどわかった。一旦預かるから君はシャワー浴びてきて」
「……ん」

両手を差し出すと、段ボールの重みが腕に乗った。部屋の中央で開くと、確かに茶色い子ウサギ。つぶらな瞳が私を見上げ、毛並みを揺らした。

「何コレ可愛い」

口元が緩む。サニーレタスをあげるとモリモリ食べた。しばらくしゃがんで眺めて、立ち上がる。
キッチンに立ち、私でも失敗せず簡単でおいしく作れる料理を思い浮かべた。
そうしてフライパンでチャーハンを作り、お皿に盛りつけていると、お風呂場から彼が出てくる。

「タオルの場所わかった?」
「ああ」

口数の少なさに不安が過ぎる。
湯気の立つチャーハンとスプーンを一人がけの椅子とテーブルに置いて、ドライヤーを取りに部屋へ向かう。戻ると黙々と口に運ぶ彼の姿があった。髪から首筋にしたたり落ちる水滴を気にもとめずに食べている。

「風邪引くよ」

背後に立ち、タオルで軽く毛先を拭った。けれどやはり何も答えてくれず、食事の音だけが響く。食事の邪魔にならない程度に軽く彼の髪に触れた。
そしてチャーハンを食べ終わったのを見計らって、ドライヤーのスイッチを入れる。
柔らかい髪が熱風に舞った。燃え上がる炎みたいだなぁと場違いの感慨を覚える。
それを指先で梳いて、乾かして、また梳いて。

「……はい、終わり」

ドライヤーのスイッチを切ると、焦点の合っていない瞳がこちらを見た。

「眠いの?」

首を横に振る姿に途方に暮れた。
その時、段ボールから物音がした。彼はその音にビクリと肩を揺らし、まるで迷子の子供のような顔で駆け寄る。瞳を揺らしながら茶色い毛並みを見つめていた。
しばらくそうしてウサギを見つめた後、低く小さな声で呟く。

「……オレ、優勝したんだ」
「うん」

おめでとうとは言わなかった。
彼の目は何も映していない。

「レースで、前のヤツを抜こうとした瞬間、ウサギが飛び出してきた。よける間もなかった。オレはそいつにからんで落車した。だがすぐに自転車をおこして走り出した。……オレ、こいつの母ウサギをひき殺しちまったんだ。そこには何かがあったのに、オレは闘いにこだわり勝利を追いかけるあまり忘れてきた」

彼は自分の手の平を見つめ、それで顔を覆い隠す。
私はとなりにしゃがみ、彼の手を取った。そのまま腕を引いてベッドに座らせる。
隣に腰掛け背中をさすった。

「おめさんはオレを責めないのか?」
「……責めないよ」

身体が小刻みに震えている。何度も背中を撫でた。

「でもオレはオレが許せねェ」
「……そうだね。だから私は君を責めないよ」

心がチクチクした。
悲しみが流れ込んでくるような気がして、でもそれは本当の痛みじゃない。彼の後悔も罪悪感も彼にしかわからない。それが私を苛む。してあげられることの少なさに目がくらんだ。せめて背中をゆっくりさすり続ける。
けれど不意にたれた目尻が私を見つめた。

さん」
「……っ」

声音の甘さに息を呑む。
彼のくちびるがゆっくりと近づいて耳元で囁いた。

「オレの名前……呼んで」

喉が鳴る音が聞こえてしまっていないだろうか。

「し、新開君」
「そっちじゃない」

甘えるようにぼふりと胸元に頭を押しつける。恐る恐る頭を撫でると、背中に手が回って抱きしめられた。段ボールから物音が聞こえる度に腕の力が強くなる。
──逃げられない。
捕らわれる。
私はもうどこにも行けない。
観念して吐息をついた。

「……隼人君」

諦めたら気持ちが楽になった。
柔らかい赤毛に指を差し入れ、梳かす。もっととねだれるまま、名前を呼んで頭を撫でた。
気持ちよさそうに胸に顔を埋めていた彼はふいと顔を上げ、視線で私を射貫く。
それだけでお腹の奥がうずくのを感じた。
近づいてくる真剣な表情に、逃げなければ大変なことになると気づいたけれど、動けない。
そして隼人君の厚いくちびるが、私のくちびるに触れる直前止まった。近すぎて彼の顔が見えない。思わず目を閉じると、熱い塊がくちびるに押しつけられた。
それは甘い熱量を持って、ぎこちなくくちびるを吸う。私は逆らわず応えた。薄く開いたくちびるから差し入れられた舌先を絡め取る。呼吸が荒くなって肩が揺れた。
気持ちの良さが、くせになってしまいそうで怖い。

っ」

くちびるが離れ、余裕のない声音に驚いた。力いっぱいベッドに押し倒されて、一瞬息がつまる。けれどその衝撃を感じている暇なく再びくちびるを貪られた。次いで耳たぶを舐められ、舌先が首筋をなぞる。
われ知らず嬌声をあげると、彼の手が胸の膨らみに伸びた。恐る恐る触れる仕草に身体をよじり、彼に触れる。
ベッドが軋む。
熱くて、溶けるように気持ち良くて、ぎこちなく触れる指先が愛しかった。
身体の距離は埋まる。
でも心はどうしようもなく。翌朝一人シャワーを浴びながら、首元に残る赤い跡にため息をついた。